いやぁ、皆様お疲れ様です。遅ればせながら明けましておめでとうございます。2023年になりましたね。前回、前々回と「企業の成長ステージ」という銘でPart 1, 2のシリーズ投稿をさせて頂きました。本来であれば今回はPart 3を投稿するべきですが、ちょっと間に別記事を挟みます。そうです、所謂「焦らし」という名の高等テクニックです(笑)。あと、もう既にホットではないのかもしれませんが、昨年の一つの時事ネタに被せた形の投稿をしたかったからです。つまり、私の気まぐれです。ライトタッチですが、経営要素もちりばめてはいます。
まあ、ゆるりと読んでください。ですが、読者さんには「なんで悪魔がサッカー語っとるねん・・・」みたいな感想を持たれるかもしれません。それに対しての答えをもうここで書いちゃうと、一つのものから原理・原則を見つけ、また探求することで「軸」が出来ます。一方、サッカーなり、他の事象なり多くのものから学び経営という一つに適用することをすることで「集積知の活用」が出来ます。私はこの回の投稿で「常に自分に対して『自分は今この場面において目の前にあるものに準備も、理想形も、目標も持たず、目標の為のフレームワークを持たず、準備もせず挑もうとしていないか?』と自問し、その自問に対して『大丈夫だ』と答えられない自分がいると悔しがる、それを繰り返していくことを続けてきました。」と書きました。それで出来上がったのが私の「経営脳」であり、後述の通り未だに「おおっっと!これはちょっと違った!」みたいな場面はありますが、それらにも修正したり、対応したりできるようになります。
ちょっとその分析の仕方とか、深掘りの仕方の一例としてサッカーというものをミラーにしながら書いてみたいと思いました。
目次-Table of Contents
私は実はサッカーよく見ます。
私は昔からのよしみでEnglish Premier League、つまりイギリス(というよりイングランド)のJリーグ的なサッカーリーグの試合をほぼ毎節見ます。他にもヨーロッパの各リーグの上位勢が集まって行われる欧州Champions Leagueなども時折見ます。
贔屓のチームを過去20年以上応援していまして、特にここ10年くらいは自分の仕事とのシンクロ性からサッカーの「戦術」について分析しながらよく見ます。
皆さんご存知でしょうが、サッカーというのは基本105mX68mのピッチ(競技場)の中で11人対11人が流動的に運動しながら主に足を使い、ドリブル(自分で運ぶ)、パス(味方にボールを渡す)というアクションを通じてボールをなるべく前進させるというムーブメントを繰り返し、そのムーブメントの最終形としてボールを相手のゴールに入れることで得点が生まれます。一方がゴールに向かってアクションをしている間、つまり攻撃している間はもう一方は守備、つまり攻撃側を遅らせたりボールを奪ったりを試みます。90分(45分X2)の中で相手チームより多くの得点を獲得したチームが勝ちとなります。レッドカード退場とか、延長戦とかオフサイドとかの細かい説明を省いてサッカーのルールを簡単に述べるとこのような形かと思います。
サッカーの原理・原則:人間がサッカーをするということ
このサッカーというスポーツの特徴を考察してみましょう。つまりサッカーの原理、原則です。これをビジネスに例えると「自分はどんな特徴のビジネスを行っているか?」に関する理解です。
まず第一に、サッカーを行うプレーヤーは人間です、その人間がサッカーを行うにあたり、人間の身体面に関する原理・原則を超越しながらプレーすることはできませんので理解は必要不可欠です。ですが、サッカーのプレーヤーや指導者もこれらを「暗黙の了解」みたいな感じで深掘りしていない事があります。これがプレーだけではなく、予測や期待値の設定にずれを生じさせます。これはビジネスでも同様ですね。ビジネスにおいて「人類の癖」を理解して、ビジネスを実践することと類似です。
1.足はコントロール性が高くない体の器官
ボールなどの人体の外にある何かを「操作する」に当たり、人間の体中で一番操作性が高い器官は「手」でしょう。一方で、足で「蹴る」という行為はボールのスピード、距離、仕向けたいスポットといった要素をコントロールしながら前に進めるに当りそれほどまでコントロール性が高い行為ではありません。ボールのサイズは異なりますが、比較対象として野球のピッチャーを挙げてみます。野球のピッチャーは約18m離れたマウンドからホームプレート上にあるストライクゾーンに向けて、「ボール半個分の出し入れ」という繊細さでコントロールし、またスピード、変化のコントロールの仕方も多彩です。一方、「足で蹴る」という行為はそれほどの細かさができないという特徴があります。
その他の手を使うスポーツであるバスケットボールなどは足より正確にコントロールが出来る為得点が良く入ります。バスケットボールとフットサル、つまりインドアサッカーはコートサイズはほぼ同じ、試合時間も同じですが、プロのバスケットボールは片方のチームの得点回数が1チーム40回程度あることもある一方(バスケで言うところの「100点ゲーム」はこのくらいです。)、フットサルは15回得点機会があれば凄い試合です。
また、バスケットボールは手という操作性の高い器官を使うこともあり、フットサル以上にプレーヤーがゴールの前に集中します、一方フットサルはより広くコートを使ってプレーヤーが互いにバスケットボールよりも長い距離を取りながらボールを動かしながらプレーヤーも動きます。バスケットボールは手を使うがゆえに密集の中でも比較的正確にパスを回せますし、一方フットサルは足を使うということで密集の中ではディフェンス側が優位となってしまうので、適切な距離感(これは攻撃側としてアバウトなパスを受け手が走りながら受け取ることで成立させるのには距離がある程度必要であると共に、ディフェンス側のプレーヤー同士の距離感を間延びさせてその「受ける」という行為をしやすくする目的もあります)が必要となります。
これが手と足を使った球技の操作性の対比となるかと思います。つまり、「足」がメインのサッカーという競技はある程度コントロールがアバウトになりますし、それ自体がスピードが速すぎたり、「あさっての」方向にボールが行ってしまったりの所謂「キックミス」だったり、「トラップミス」をはじめとする受け手のミスに繋がったりします。サッカーという競技は「ある程度のエラーを許容しながら行うスポーツ」つまり、「必ずしもうまく行かない」というゲーム性を内包している競技です。
2.ボールは足より速い
一つ上のパートでは「足は操作性が高く無い」と述べました。一方で足(というか「脚」)は人間の筋肉の6割以上が下半身に存するという筋肉量と、それを支える腱と骨で構成されています。つまり「強力な器官」ではあります。ボールは人間の体重より軽いので足・脚が蹴るボールは人が移動する、つまり走るよりも速いスピードで移動させることが可能です。往年の名プレーヤーであり、エキセントリックな鬼才監督であったヨハン・クライフは「ボールを回せ、ボールは疲れない」という名言を残しましたが、ボールを正確に蹴ることが出来れば効率的にゴールに近づく事が可能だということです。それはなぜかというと「蹴ったボールは走る人間より早く移動できるから」に他なりません。
3.体のボディバランスをとる重要器官の脚・足
足というのはサッカーに於いてボールを移動させる器官であると共に、人間の身体の原理として直立を支える器官でもあります。
直立時に於いて人間は2本の足・脚で重力・体重を支えます。一方で、サッカーという競技はプレーヤーがボールを保持する場合は足でボールをコントロールすることと、ボールを持っていない場合でも基本としては常に走っているので、重心が片側の足・脚に乗っている状態にあります。ただでさえ「4足歩行」の他の動物に比べて安定感に欠ける「直立2足歩行」の人間が、片足のみで重心を支えるというバランスの悪い体制で行うのがサッカーというスポーツです。ドリブルを仕掛けられてディフェンス側が「逆を取られる」という事象、つまりは重心が片方に乗っかっているので、もう片方に振られた際にうまく体重移動が出来ずに置いてけぼりにされる行為はバランスが悪い人間であるこそかと思います。
そして、このボディバランスという要素というか人体的メカニズムを考慮すると、人間は自分が前を向いている方に推進力があります。前に向いて走るより後ろ向き走りの方が速い人は超レアでしょう。また、後ろ向き走りでなくとも、ディフェンス側、特に最終ラインに近い人はは攻撃側のプレーヤーを見ながら攻撃側に並走するということをせざるを得ない守備機会があります。この時ディフェンスする側としては首は相手プレーヤーを見て、体は自陣ゴール側に向けて走るといういびつなねじり方をして走ることとなります。人間はアクションを起こすよりもリアクション側が後手に回るので、サッカーで最終ラインでディフェンスするというのはかなり人間の体の構造上無理がある使い方です。ただし、もう一つスポーツ性として面白い要素として、非常に単純化した見方をすると体に無理のない攻撃側は「ボールをコントロールする必要性」がある一方、体に無理のあるディフェンス側は「ボールをブロックすればよい」という役割ですので、これで攻守の均衡が上手く取れているのがサッカーの面白みであると思います。だから他のスポーツに比べてあまり点が入らないのですが。
4. 人間には「厚み」がある
これは手を使う競技であれ足を使う競技であれコンタクトしながらのボールスポーツでは顕著な要素ですが、人間には肩幅という左右の厚み、また胸板という前後の厚みがあります。バスケットボールのリバウンドなどでよく使われる「スクリーン」というプレーは、自分の体の厚みで相手プレーヤーを目的のエリアに侵入させないことです(スラムダンク早く見に行きたい)。サッカーの解説でも最近「(相手の体の)前に入る」とか「入れ替わる」という表現をするようになりました。これは体の厚みを持ってブロックを試みようとする相手を上手くすり抜けてボールに接触することを指します。こうした体の構造を解説者が述べる様になったのも近年の進歩というか特徴ですね。
5.プレーヤーの特徴
言うまでもないですが所謂「フィジカル面」におけるプレーヤーの要素、例えば走るスピード、敏捷性、利き足、身体の大きさ、スタミナ、パワー等は人それぞれです。このプレーヤーのフィジカル的な特徴は、次章で述べる「プレーヤーの能力・技術面」と相まって、「どのプレーヤーにどこのポジションで何を担当させるか?」、「どのプレーヤーをどのプレーヤーと同じサイドに配置するか?相互補完関係を作るか?」という要素は監督やワールドカップの章で後述する「パズル性」にポジティブにも、ネガティブにも効いてきます。
プレーヤーの能力:「速さ」や「足技」だけで留まらないこと
次にプレーヤーの能力・技術面についてです。ここは皆さん判りやすい部分だと思いますので、各部分の説明は少な目に書きます。本章で述べる各要素は、前章の「5.プレーヤーの特徴(これはフィジカル面)」と併せて、各プレーヤーでそれぞれ異なった能力を持っています。我々は所謂「スーパープレー」や「スタープレーヤー」に惹かれたりします。例えば「メッシの5人抜きドリブル」などはその例ですが、こうしたプレーで「見えている部分」は以下のリストの「3.止める、蹴る」が殆どです。しかし、実は時間軸空間軸の前後等を見渡すとスーパープレーにはそのプレーの予備動作となる起点があったりします。また、スーパープレーではなかったりボールに触れていなくても何気に凄いプレーもあります。一方、良く「うまいけど使えない」と言われるプレーヤーは「3.止める、蹴る」以外の他の要素を理解していない、他の要素に長けていないということです。
1.ミッションを理解する技術
サッカーの試合に於いてのミッションのゴールは「試合に勝つ」ことです。その為にチームのスタメン11人+サブメンバーがピッチ上でどの様な機能を果たさなければいけないかをきちんと理解する必要があります。監督は各プレーヤーにフォーメーション上のポジション、例えば「左のウインガー」として配置して送り出すことでしょう。そのポジションの役割、他のプレーヤーとの機能補完を意識しながらどういう風に自分たちのプレーを「試合に勝つ」に結び付けられるかがプレーヤーの能力の第一です。
2.状況を的確に判断し、「選択する」技術
上述1.の「ミッション理解」は「静的」な理解です。事前に与えられれば頭の中に刷り込み、叩き込んで試合に挑めます。ただ、サッカーというスポーツは可能性としては時間的に1フェーズ最大45分まで続くという連続的なスポーツで、プレーヤーのポジションも流動的に入れ替わりますし、何より相手チームは「自分たちの嫌がる事」を行ってきます。つまり全てが「動的」に動く、つまりダイナミズムの中で各プレーヤーは今自分が置かれた状況を判断し、その中で自分の次のプレーを選択する、そしてその「選択するプレー」というのはチームの共通理解と合致し、他のプレーヤーと「共有」出来るものであるべき、というのがあります。つまり、ミッションの額面通りの刷り込みだけでは難しく、それを瞬発的思考力を使って応用していくという頭脳(もしかしたら脊髄反射かもしれませんが)が求められます。
現代サッカーは複雑怪奇な「パターン」「オプション」の組み合わせで出来ていて、ビジネス界よりもっともっと多くの「決まり事」をチームに浸透させ、その「決まり事」も自分たちだけでなく、相手の動き方に合わせてパターンが変わる「ダイナミズム」があります。サッカープレーヤーというのはそのダイナミズムの一瞬の現状配置と将来予測を一瞬の行った中で自分の体を「決まり事」に従って動かし、それを90分間判断の連続で行うというえげつないスーパーマンです。
3.「止める」「蹴る」技術
ここで漸く、いわゆる「サッカーの上手な人」の特徴と言われる技術の側面、「止める」「蹴る」とその応用の「トラップ」(すごく優しく蹴る(足を当てる))や「ドリブル」(小刻みに蹴りながら進んでいく)が出てきます。この要素を軽視するわけではないのですが、これはいわゆる「オンザボール」の技術です。つまりピッチ上に22人のプレーヤーがいるなかで一瞬だけを切り取ると1人のプレーヤーのみが発揮する技術です。90分の間に22人が均等にボールを触ったとして(そんなことは無いですが)、一人の人がボールに触れている時間は4分程度、つまりその他の86分はボールに触れていない時間です。
4.「いる」技術
3.の「止める・蹴る」で「オンザボール」の技術を説明しましたが、「いる」技術というのは逆に「オフザボール」の技術です。攻撃側の際はパスの受け手としてどこにポジション取りをしているべきか、ディフェンス側として相手のパスコースや侵入コースをどういうポジション取りをして相手を潰すか、これが90分間のうち86分間で必要な技術で、そのバックボーンとなるのは2の状況を的確に判断し、「選択する」技術に他なりません。
上記がプレーヤーの技術・能力の機能的な部分です。その他にも判断の「質」みたいなのもあります。例えば、一昔前の話ですが中田英寿のパスは「キラーパス」と言われ、「厳しいけどワンプレーで局面を打開できるパス」でした。このように、「優しい」判断、「厳しい」判断というのもありますし、もちろん個々のプレーヤーのメンタル面というものもあります。ちょっとそこは絶対に無視できない要素ではあるのですが「個性」という言葉で一括りにさせていただこうかと(笑)
監督のすべきこと
上の2つの章で、人間の身体動作の原理、原則とプレーヤーの技術面というピッチ上に立つプレーヤーに焦点を当てて説明をしました。一方、それらプレーヤーに目標、秩序、役割、モチベーションを与えるのは監督の役割です。目標とリソース(プレーヤーの能力)をリンクするのは監督のマネジメントです。ここまでくると会社経営に似てきましたね。さて、監督の業を見ていきましょう。
1.「勝ち」を意識する
これはそのままです。省略(笑)。
2.リソースの分析・判断をし、「勝ち」の道筋をつける
「勝ちへの道筋」、これが「戦術」といわれるものです。前章のプレーヤーの能力・技術の面でも申し上げたことですが、サッカーというのはダイナミズムの中で対応していくスポーツで、それは相手チームの出方にもよりますし、自分のチームが持っているリソースにも拠ります。
例えば自チームの11人のスタメンの足下の技術・能力に不安がありつつも走力だけはあるのであれば、「ロングボール走り込みカウンター」戦術がハマるかもしれません。「繋ぐ戦術」では輝かないプレーヤーも「走り込みカウンター戦術」ではヒーローになれる可能性があります。「戦術は個に左右されるし、個を戦術が伸ばす」ということですね。これを見出し、「勝ち」への最適解を考えるのが監督の役割です。
ただ、相手もそれに対処するのがサッカーですので、「対処されたときにどうするか」の戦術オプションを複数揃えておくことやそれを遂行できるプレーヤーを確保するというのも監督のマネジメントのうちの一つではあります(プレーヤーは監督が必ずしも決めれませんが)。
3.個々のプレーヤーを信頼し、それぞれにミッションを与え、遂行を促す
企業の成長ステージPart 2で「Directorship」について述べました。つまり、指揮と実行の分離です。サッカーの監督・コーチ陣は練習の際には「What to doとHow to doを横に張り付きながら教育・指導する」というManagementに似た部分を持ちつつも、試合の際には「自分は実行(プレー)しない」という面でDirectorshipに似ているという両面を備えています。トレーニングで指導し、きちんとチームとしての戦術の共通解と個人ミッションをピッチ上での応用も含めて実践できるまでに指導をすること、そして試合の際には心理的安全性をプレーヤーに与えるべく信頼し、ミッションの実行を促すことが監督のPeople Managementです。
ここまでは上手くいった話のように聞こえますが、「人の業」ですのでPeople Managementは必ずしもうまくいくとは限りません。人は生き物ですので、「自分の不得意なモノ」をやる事を良しとしないプレーヤーもいるわけです。例えば、守備したくない人に守備を強要するのを良しとするか?という監督にとってのジレンマがあります。その「守備をしない度」がプレーヤーとして起用できる閾値以上になったら使われなくなってしまいます。守備に限らず、戦術理解度や「いるべき場所にいる能力」も同様です。
実のところを言うと、私の贔屓のチームにも居ますよ、チームとしての共通ミッションや戦術的な軸を理解していないかの様なプレーをするプレーヤーが・・・。いつものスタメンのメンバーが休んでいる際に出てくるプレーヤーですが、ピッチで何をすべきかのミッションが理解できていないのが明らかです。きちんと指導していないとしたらチームというか監督の責任ですが、もしかしたらそのプレーヤーは指導しても理解できない、ピッチ上で表現できないキャラクターなのかもしれません。プロの世界ですから戦術に見合わないプレーヤーを使い続けることはできない、そういう末路となるでしょう。
World Cupもモチロン!が、私の理解していた「戦術」がぁぁっ!
今回のWorld Cupも日本戦全部と準決勝・決勝含めて10試合ちょっとくらい見ました。今回のWorld Cupを見ていて当初違和感を覚えたことは自分の「サッカー目」が役に立たなかったことです。そして、それに喜びを覚えたことです。
自分が持っているParadigmとは全く違うサッカーがそこにはありました。
サッカーの各国リーグは基本長期戦です。English Premier Leagueの場合は1シーズン約9か月にわたり各チームが38試合を戦う訳ですが、その中でケガで不出場の選手をなるべく少なくマネージしつつ、各試合でより多くの得点、少ない失点へ至る戦術を構築し、維持・マネージし続けたほうが勝つという「勝つべくして勝つ仕組みを構築した者が勝つ」という勝者のゲームです。シーズン前にチーム戦術を浸透させる合宿もありますし、毎週1~2試合をこなす合間にも戦術トレーニングを行う時間を確保できます。つまり「チームとしての決まり事(=戦術)をきちんと浸透させ、それが上手くハマり続けたチームが優勝する」というのが現代クラブサッカー、特に各国リーグかと思います。
一方、World Cupは約1か月の中で最大7試合行う短期戦です。各国代表のプレーヤーは基本年間の大半は異なるクラブチームに所属するプレーヤーの「寄せ集め」ですので、戦術的な成熟性は低い、というか戦術バリエーションはクラブチーム程数多く持ち、浸透させる余裕が無いのが特徴です。
この戦術的なルースさ、会社で言うと会社としての決まり事の少なさが特徴となり、ワールドカップにおける各国代表の戦い方では別の側面が際立っていました。さらりとですが見ていきましょう。
個々の能力
まず、第一に重要なのは「個々の能力」です。戦術がルースな分、能力の高いプレーヤーを戦術で抑える事が出来る程度がある程度低くなります。これが個の能力が「相手の戦術的ルースさで活かされる例」です。逆に「自軍の戦術的なルースさで個の能力を発揮できない」という事例も出てきます。いずれにせよ、戦術の不在により、「個」が良くも悪くも際立つのが国の代表かと思います。
プレーヤーの組み合わせ
また、個と個を組み合わせる「パズル性」も重要な要素になります。前述の通り、各プレーヤーはフィジカル面、技術面で「特徴」があり、それが故にプレーでも「プレースタイル」というものがあります。「ワイドでプレーするウインガー」と「ワイドで駆け上がっていく縦突破型サイドバック」を同じサイドで組み合わせるのはプレーゾーンが被ってしまい、お互いの良さが生きて来ません。それぞれの「プレースタイル」で相互補完関係を築けるプレーヤー同士を組み合わせながら配置していくことで、戦術不在を補うという戦い方を各国が行っていました。
戦術的「選択と集中」
戦術的に高度に、精緻に組み立てて浸透できない以上、「割り切り」が必要となって来ます。特に日本代表に顕著だったのは「戦術的『諦め』」と「時間戦術」の組み合わせです。
各国のクラブチームが集まるリーグではダイナミズムの中で攻勢の時間、守備に追われる時間みたいなそれぞれのフェーズはあったとしても、「敢えて自ら望んで守備の時間を作り出す」ということはあまりありません(そりゃ、時にはありますよ)。特に日本代表はドイツ、スペインというWorld Cup優勝経験のある「サッカー大国」に勝利し、それら2国にサッカーの歴史においては劣るコスタリカとクロアチアという2国に敗戦したということで、「日本には守勢→カウンターのサッカーが向いている」という論調が頻出しました。その論調は兎も角として、日本のカウンターが上手くハマって得点に繋がったのは事実です。試合の中で時間的に「敢えて攻めを放棄する時間」を作り出したり、その守備の中でもプレスを掛ける高さ、バックラインの高さを調整したりして、「攻めに転じるための守備」をする時間と「跳ね返すための守備」をする時間を明確に切り分けて実践していました。戦術的に細やかな守備をしていたわけではありませんが、プレスを掛け続けられる前線のプレーヤーの「能力」と勝利への執念と集中力を以ってRisk TakeしながらDirtyに勝ちをもぎ取った感じです。こういう大舞台では普段の各国リーグでは見られない「メンタル面」も見ものですね。
World CupでのLearning
さて、World Cup見始めて当初は「脳内Disruption(創造的破壊)」が起こった私ですが、現象を改めて観察して、自分の頭の中の「サッカー観」の中でうまく当てはまる部分と当てはまらない部分、観察してみて改めて新しく判ってきたパターンを組み合わせて大体2~3試合見終わったら「あ、こういうことね」みたいなしっくり感が出てきました。これが応用力というか、ちょっと下で述べる「Transferrability」です。クラブチームで輝くプレーヤーがいる一方、国代表になると活躍できないプレーヤーがいたりどっちでも活躍出来るプレーヤーがいるのはこうした「脳みその使い方」が出来ているからだと思います。さて、Learningは2つ。
「経験値」が役に立たないことはある。
English Premier Leagueでの勝ち方や強いチームの作り方・要素というのはWorld Cupを見るうえで役に立たないこともありました。というより「役立つ経験」にうまく消化出来ていなかったというのが正しいです。「役立つ経験」にするためにEnglish Premier League観戦で学んだ要素をすべて棚卸し、World Cupというものを正鵠に分析した上で、English Premier Leagueで学んだ「サッカー目」の要素のうち何が使えるか、そして何が使えないかを判断すること。そしてWorld Cupを戦術的に分析しながら見るためにEnglish Premier Leagueで学んだことを適正に組み合わせ構築しつつ、Missing Pieceを補うことが必要になってきます。これをTransferrabilityといいます。
これに類似したことは実社会でも起きますし、実際そういうものに遭遇した中で対応していく応用力が必要になります。アンチテーゼ的に語ると転職市場の求人での要件の中に良くある「XX業界での経験XX年以上」なんてものは採用企業として「肩書」を見ているに過ぎない、「自分たちはTransferrabilityがある人を見抜けない」と言っている様なものです。
これまでの業界・会社で「ただ仕事を行っているだけ」の「勝ちパターンを構築できない人」が9割以上ですし、またパターンが築けたととしても「自分の勝ちパターン」に固執する人は名将にも名プレーヤーにもなれません。てか、こんな求人の仕方やめません?
世の中で「経営者ポジション」で成功した人も「勝つべくして勝つ仕組みを構築した」人だとは必ずしも言えないということ。
先程、World Cupは各国のリーグでのクラブチーム程、戦術的成熟性が無いと述べました。また、World Cupの各試合でも「戦術的成熟性」に優れたチームが必ずしも勝っていたわけではありません。Quick&Dirtyで、時には向う見ずなRiskを冒し、それが結果として勝利を手繰り寄せたと分析されるパターンは今回のWorld Cupでも複数あります。World Cupでは「勝利をするために」試合をしている、またその環境が「一発勝負」ですので、90分のRisk Takeや集中力が何かをもたらす要素となり得ます。
日本代表の森保監督が「戦術が無い」とか「4年間で積み上げてきたものが無い」と批判されつつも監督続行が発表されました。恐らくその批判は的を射たものであるのでしょうが、一方森保監督は「World Cupベスト16」という結果を出しました。「勝つべくして勝つ仕組みを構築した」訳ではないですが、結果を以って続行の決断が下されたわけです。経営者も同様で、「勝つべくして勝つ仕組みを構築した」訳ではないですが、経営者ではない人たちから見たらなかなか得難い数億円単位の資産を手に入れた「経営者」もいます。ラッキーパンチでも成功は出来る可能性があるのです。
それでも悪魔は「勝つべくして勝つ仕組みを構築する」ことを求め続けて、皆さんに発信していきます。それが再現性のあるマネジメントですから。
おわりに
自分はモブキャラですので慢心することなく自問自答し、ダイナミックに変わっていく環境を正鵠に分析しながらそれに適応する戦略・戦術を構築し、リソースは限られているかもしれませんが、その限られたリソースの中で最大限「勝ち」にこだわっていきます。悪魔が自分に課しているQuestionを遅ればせのお年玉がてら皆さんに投げかけてまとめとさせて頂きます。
ビジネスにおいて、きちんとサッカーやほかのスポーツ程決まり事、考える事、戦略と戦術が存在していない企業が多いように感じるのは私だけでしょうか?皆さんは自分が直面しているビジネスをきちんと考察し、分析していますか?
また、自分の組織のリソースを思い込みではなく正鵠に分析しようとしていますか?自分の部下に動くべき戦術的なガイドラインを与えることで混乱を無くし、タスクに専心出来る様にしていますか?
ではでは🐇