前回のあらすじをサクッと纏めると「(一般的に)経営が出来ない存在である商社マンが、海外現地事業会社の株主構成が変わってしまったが故に商社がマジョリティを保有することになり、経営を担うことになりましたとさ」という感じです。
目次-Table of Contents
そしてその後現地事業会社で起こったこと
マジョリティ保有になったこと、それが故に経営の責任はグループ内でしか取れなくなった為、出向者も通常の「1~2人」というレベルではなく、それより大規模な感じで本社から出向者を出すことになりました。が、その会社ではまぁ~いろいろ起きること、起きること。加えてそれ等いろいろ起きる事にきちんと対処できない皆様を見たり、遠く離れた現地で起きる事に過剰反応してしまう東京の首脳陣などなどなど、もうすべて歯車がかみ合っていない感が満載。あまり具体例挙げる事が出来ないのですが、私が商社を卒業する前・卒業した後の両方で出会った「いびつな経営」のリストを以下に列挙します。「商社の投資先事業会社で起きていたこと」を「他の会社で起きていたこと」に紛れ込ませてみるという、逃亡する犯罪者の手法(笑)。
私は見た!いびつな経営3選‼
「いびつな経営」のリストを以下に列挙するものの、「こりゃ完全に中小企業的ないびつさだろ(笑)」と「商社の投資先事業会社で実際に起きていたこと」として特定や除外されてしまうものは外しております。
1.「事業計画」のバージョン変更が多い
期初前に策定した事業計画、期中にあれやこれや理由で事業計画の見直しをし、「本当に自分たちが追っかけなければいけないもの」がどれなのか訳分からなくなってしまうパターン。修正に際して建前的な理由として頻繁に使われるのは「外部環境」要因です。「〇〇で事故が~」「為替が~」「ストライキで~」みたいな理由ですが、これが影響を及ぼしているのは確かなのですが、経営を司るものであれば誰であっても「外部要因」への対処・対応は必要なのです。その外部要因の荒波を上手に泳いでこその「経営」なのです。しかし、目の前に仕事追われていると「準備」「見通し」をする脳内キャパシティが欠如してしまいます。後年、私は新たな経営レベルのプロジェクトを始める際には「じぶん合宿」をやって、そのプロジェクトを行うにあたって自分が予見できる全ての要素をマインドマップに落とし込む様にしています。その中で「自分が予見できなかった事象」があったり、「自分の見立てが外れたり」ということはもちろんあります。でも、「外れる」ことは結果として許容できたとしても、「準備の各ステップ」を怠っていたことに対しては必死に悔しがり、「Never Again!!」と固く誓いながら次の準備するしかないです。
2.聞け!理解するためのInvestmentをしろ!そしてより賢くなって判断しろ!
「商社の海外投資先子会社」には本社内に「管掌部署」というものがあり、本社側で当該子会社の事業管理を担当する「担当者」(平社員)がいます。そして、組織なのでその「担当者」の上に「課長」がいて、その上に「部長」がいて・・・(中略)・・・・「管掌役員」がいて、その上に「社長」がいる、という見事なまでのコーポレート・ピラミッドがあります。この中で皆様、「管掌役員」ってなんだっ!と思われるかもしれません。商社ぐらいの大規模組織ですと、「社長」のほか、「副社長」や「専務」にも「代表権」、つまり「法的に会社の代表者の肩書」を持つ人がいます。会社の代表者が社長、副社長、専務等で10名くらいいるわけです。ですので「代表取締役社長」だけではなく、「代表取締役専務」もいます。で、「管掌役員」に話を戻すと、「管掌役員」とは「営業ビジネスユニット(BU)の最上位の責任者」として会社の中での最上位の意思決定機関の「取締役会」でBUを代表します。因みに一人の取締役が2つか3つくらいのBUを管掌するのが私がいた当時の通例でした。「代表取締役専務○○さん、エネルギーBU、化学品BU、食料BU管掌」みたいな感じです。しかし、この「管掌役員」の方、ご自身で経験したことのない部署の管掌もしなければいけないのですね。嘗て「ラーメンからミサイルまで」と言われた総合商社、「ラーメン担当」で成り上がって役員までになった人が役員になってミサイルの管掌をしなければならなくなるわけです。皆さんお判りの様に、「ラーメン」と「ミサイル」、全く別の商売です。と言いますか、「エネルギー」でも「石油の開発」と「CO2排出権」では全く違いますし、「食料」でも「シャケ(鮭)」と「コンビニの裏方物流」では違います。社内で上のポジションに行けば行くほど「自分以外の誰か(部長なら部員の粗相など)の責任を取らなければいけない」のは常ですが、商社の役員は「自分にとって訳分からない商売の責任」も取らなければいけない事となります。この点では商社の役員は「悲しいオジサン」です。
しかし、この「悲しいオジサン」の特徴として、「忙しい」という致命的にLearningを阻む要因にまとわりつかれています。「忙しさ」で言うと、商社の取締役は対外的なお仕事も待っています。政府の検討委員会のメンバーや業界団体の理事などなど。取締役が各案件を理解するのは、取締役会前の「ご進講」と呼ばれる取締役会への「上げ膳据え膳」事前インプットのセッションくらい。しかしこの「ご進講」は1案件に割ける時間は30分~長くて1時間くらい。各案件を理解し、「自分事として、自分はこの案件に対して責任がある」という気持ちに至るまでの時間のインプットとしては到底足りません。
ですが、この「管掌役員」は商社のコーポレート・ピラミッドでは「超絶に偉い」のです。「超絶に偉い」人が「理解不足」⇒ちょっと頓珍漢な疑問・質問が超絶に偉い方から出てきて本社の人たちの他、遠く離れた現地出向者までその質問の対応に追われて1週間が潰れる、なんてことまで起きます。
これが「経営」なのかと言われたら何とも言えませんが、よく起こる(起こっていた)「アルアル」です。
3.「事業を遂行」するセッション不足
上記1.で事業計画のバージョン変更が多い、と述べました。「事業計画」というものは単年計画であれば今年一年の組織の目標地点を示す「北極星」の様なものです、その「北極星」=「事業計画」がいろいろ変わるというのもなかなかに混乱を招きますが、きちんとしていない会社は事業計画を作って、作りっぱなしで終わっているケースが多いです。しかし、「事業計画」=「北極星」を設定した後は、そこに至るまでのA)マイルストーンを設定すること、B)その為の各行動を規定すること、C)その行動をし続け「マイルストーンを経過したか、北極星に近づいているか」を確かめることが必要となります。
A.は全社KPIとそのブレイクダウンの為の部署KPI
B.はAの下位概念である個人KPIと日次/週次/月次での行動規程
C.はBの行動の進捗とAとBの整合性チェック(実際に「北極星」に向かうために有効な行動を自分たちは取れているのか?)をするための進捗会議
です。この様に企業の中にある各部署、そこにいる社員の目標と行動を規定しチェック、修正していくサイクルが必要になります。が、きちんとこのブレイクダウン化とサイクル回しを出来ていない企業は沢山あります。というか、「経営者」がこれに気づいていない企業は多いです。こうした体制が出来ていない中の「経営」は「ギャンブル」であり、「知的生産」ではないです。そのような中で事業計画の達成はあり得ません。
加えて事業計画に加味されていない「新規プロジェクト」なるものが社内で動き始めて、訳の分からないコストが垂れ流しになっている場合も多かったりします。
まあ、ここでは3選と書いたので3つだけ書きましたが、笛を吹けばにょろにょろとアラビア壷から現れてくるコブラなのかと思うくらい脳内からはこれ以上多数の事例が・・・・。それについてはまた今度書きます。
「商社」「商社マン」「商社マンが経営できない現地子会社」の状況を見て、私が思ったのは「私は経営を学ばにゃ詰むバイ!」という至極真っ当な「Aではない状態→Aにしないと」という反証。これが経営者を志した契機です。
「商社マン」が出来ていなかった「経営者としてやるべき(だった)こと」
振り返ると、抽象的な表現になりますが、私含めて「商社マン」は以下が出来ていませんでした。
①一回立ち止まってきちんと考える事:きちんと一つ一つの事象・状況を把握
②重要度を測る・目標とする程度を設定する:上記の事象・状況に対して『理想の状態』なり、『Not Perfect but Good Enough(完璧じゃないけど充分)』なり、重要度考慮の上目標とするべきところを設定
③ロードマップとTo Doの策定:現実と目標の間の距離を測り・目標に至る道を考える
④エグゼキューション:①~③で考えたことを現地チームを巻き込みながら目標に至る進捗管理をしていくこと
この①~④、文字に落とすと簡単です。でも、①ですら出来ていないサラリーマンが9割以上ですし、特に海外の環境で④というのは、日本人である商社マンが中途半端な現地語を駆使し、共有の文化バックグラウンドもない中で社内の人たちの心をつかんでモチベートさせ、プロジェクトを動かすというのはそこそこの無理ゲーではあります。日本のサラリーマンが慣れ親しみ、甘えている「上位下達」という文化に「ハマらない」のが海外の人なんです。つまり、やっぱり「出来ないことをやろうとしていた」即ち自分たちの能力を見誤ってしまったと言えます。現地に派遣された人たちの①~④つまり「思考、Plan, Execution」能力もそうですし、本社側の人たち(これは管掌取締役レベルまでに至ります)も、「現地へのコントロールの仕方とDelegation(権限移譲)の程度の判断」どちらも出来ていなかったと思います。
ただ、これは商社というのが組織として「経営スキル」を備えた人材の集団では無かった、という事実だけです。事実が判ったらそれに対処すればいい。その事実を踏まえて、「経営者になる旅」に出たのが私で、その後商社はこの事実をきちんと理解したか、それを問題意識として捉えたか、そして組織として変革をしようとしたかは私も組織を離れましたのでわかりません。私自身の話になりますが、その後経営者になって、企業の責任者としてPerformanceをあげていかなければならない環境の中で上記の①~④がようやく自分の「血肉」になっていったのはそれから数年後の話です。
不安な商社マン」→「矜持のある経営者」へ
余談もいいところですが、上記の①~④について自分できちんと「意識」して「血肉」になったからこそ今は自分の事を「経営者属性」であると呼ぶことを躊躇わないレベルになって来ましたし、これまた余談の余談ですが、そうして時間を重ねてようやく自分の「血肉」となったものを「PDCA」などという薄っぺらい用語に落とし込まれて、そのPDCAを口先だけで全く取っ掛かりさえも掴めない輩(笑)に軽々しく言われると私としては居た堪れないくらいの程度に自分自身は矜持を持っています。
余談はさておき、私含めて「商社マン」はやはり「不安」だったのだと思います。「経営」が出来ないのは当時20代の自分も、私より20歳ほど年上の出向者最年長の方も同様。そんな中でビビりながら我々は「経営っぽい事」をやってました。まあ、訳が分かっていないものだから現地法人のスタッフの気持ちも、日本の本社の首脳陣の気持ちもWin(勝ち取る)事が出来ていなかったと思います。
「その事業会社で何が起こったか?」も深掘りして伝えたいところではあるのですが、身バレの可能性がありますのでそこはオフ会でもやったときに話すとして・・・ごにょごにょ。
後記:実は、今回の投稿の為に記事を書き始めたら当初の予定の5倍くらいの量と内容のものを書いてしまいまして、ちょっとやり過ぎ感があったので、書いたものを切り分けた一部をまず投稿することとしました。今後投稿していくネタの先取り執筆が出来たのですが、やはり書くという行為はまだ慣れませんが、昔を思い出したり、自分の脳内アメーバを形に落とし込んだりという楽しい作業ですね。読んでいらっしゃる皆さんにも楽しいものであればいいんですがね~。