以前も申しあげましたが「経営者ポジション」に居る人が必ずしも「経営者属性」とは限りません。「経営者ポジション」というのは「肩書」です。「属性」というのは「それに適した役割と行動を行っていること」です。その二つは必ずしもオーバーラップしません。
日本の場合十数万円の事務手数料を掛けて会社設立し、その会社の代表取締役になれば「経営者ポジション」は短期間のうちに手に入ります。一方、「経営者属性」というのはより重層的で、複数の要素から構成され、また経年的に変化します。生まれながらの特性、時間をかけて培ってきた知性・体制、自らの血肉になるべく学び活かしてきた知識といったものを総合的に活かしながら経営という活動に対して取り組む意識と行動の事を指します。
そしてこの「意識と行動」については、ある契機(例えば株の売却、会社の成熟化、プライベートの諸問題など)を境に、「経営者属性」であった人がその属性の人ではなくなってしまうこともあります。いずれにせよ、「経営者ポジション」と「経営者属性」についてはアナロジー的に初回投稿で「父親であること」(ポジション)と「良き父親であること」(属性)ということで対比した通りです。
この投稿では、あなたが「会社の外部に居ながらにして」、その経営者・社長がやばい経営者(ネガティブな意味です)か否かを見抜く方法を伝授します。
目次-Table of Contents
まずは「良き経営者」の定義を語る
「やばい経営者」を見分けるにはまず、「良き経営者」というものを定義しなければならないでしょう。その反対が「やばい経営者」となりますので。
が、これは深淵なるトピックですので、今後何度も立ち返ると思いますし、もっと長編の投稿を今後用意するかもしれません。
そして、この章の記述に当たり、「思考フロー」の順で書くか、「対外的なプレゼンテーション」の順で書くか迷いましたが、前者の順で書くことと致しました。
ぶっちゃけ章をブレイクダウンしたH3レイヤーに見出しを付ける訳ですが、何となく自分でも完全なるしっくり感が出ません。本来もっと滋味深くあるはずなのですが。今度リライトするかもしれません。
情報収集、現状把握
今回、「経営者を語る」ということですが、その前提として「ある程度の歴史と組織のある企業の経営者」の話をします。そうした企業の場合、既存事業があるわけで、その既存事業に係る社内の内部事情と外部環境に関する情報収集と現状把握をきちんと行い、シナリオやストーリーを予測することを行うことが経営者に求められ、良き経営者の条件の一つとなります。ここで最重要かつ最も難しいのは「社内の内部事情の現況把握」です。なぜかというと、幾重ものフィルターがあったり、それらのフィルターに個別のバイアスが掛かっていたりし、またコミュニケーションにおける他人へ遠慮みたいなものも存在するからです。
一つの事例ですが、社長がA部長に対して「A部長の下の各メンバーの仕事ぶりはどうだ?」なんて質問をしたとします。A部長の返信の仕方によって、課題が変わってきます。
・答えが抽象的、例えば「みんな頑張っています」という答えの場合は、社長が欲しい答え以前に問題が存在していることが判ります。例えば、
①A部長の部長としての管理に問題がある(個人的素質の問題)か
②各メンバーの仕事のタスク管理・把握が出来る仕組みが出来上がっていない(仕組みの問題)か
③仕組みがあるにしてもそのデータ把握をリスペクトし、きちんとデータを以て社内でコミュニケーションを行う文化が無い(文化の問題)
などが挙げられます。ここで、社長が求める様な「仕事ぶり(業務取組状況)がデータをもって把握され、コミュニケーションされる体制」に無い、ということが判りそれが「現況」となるわけです。社内でこの課題がクリティカルだと判断された場合、「体制作り」がプロジェクトとして作られ、それに沿った目標や進捗が管理されていくわけです。経営者には現況から課題を発見して取り組むべき対象を絞り込む、という判断力が求められます。
・答えが具体的である一方で課題がある場合、例えば「A部のB君は月間の達成ノルマが5,000万円ですが、10月、11月と未達です。営業の成約率は15%で、顧客当たり売上も200万円とベンチマークを下回っているわけではないのですが、アタック数が足りていません」などという場合。
この場合は上記①、②、③の様なボトルネックはありませんので、より具体的な「B君の営業ノルマ達成を目標として、仮説上の取り組むべき対象としてアタック数の向上」を行えばよいわけです。この粒度であれば社長はA部長にその課題解決を指示し、社長としてA部長がその課題にきちんと取り組んでいるか進捗管理する、というレベルで良いと思います。
・答えが具体的で特に課題が無い場合はA部長に引き続き定点観測を継続してもらうことで事が足ります。
最悪なのは、A部長が「みんな頑張っています」という回答をした際に、社長が「おお、そうなんだな。引き続き頼むよ」という回答をしてしまう場合です。この場合は会社として社長を含めて「企業経営向き」なカルチャーになっていません。「経営者として機能」すべき会社でのコミュニケーションは、「経営者としての言葉」を発する必要があり、「経営者としての思考回路」で考える必要があるのです。それが社長にとっての役割期待です。
目標設定、ロードマップ決定、リソース最適配分
現況に応じて課題が変わると述べました。課題に応じて、目標が変わり、目標に達する仮説によってロードマップが変わり、またそれに応じてリソース配分が変わります。
上述B君の「ノルマが10月、11月と未達。営業の成約率は15%で、顧客当たり売上も200万円とベンチマーク基準、だがアタック数が足りていない」という事例を深掘りしましょう。
もし「アタック数が足りない→アタックリストをより大きくすればよい」という仮説であれば、リサーチの上アタックリストの拡充(作業時間リソースを費やす)をしたり、帝国データバンクの様な会社からある業種の企業リストを買ったり(金銭リソースを費やす)ということが対処法として検討されます。
その他、「B君は別の仕事も兼務している為業務過多状態でアタックを掛ける時間が不足している」という仮説の場合には定型作業をRPAなどで自動化したり(金銭リソースを費やし、作業リソースを創出する)ということが検討対象となります。
また、そもそもの「ノルマという目標設定」がおかしい、という点への修正も考えられます。その場合も「目標→ロードマップ→リソース配分」の流れで改めて考えることは同じです。
上記トピックは先程部長レイヤーの取組事象と申し上げましたが、経営者レイヤーの事象の場合でも考え方自体は同様です。
企業経営は「人の組織」の所業と理解すること
上記2パート、現況把握と目標設定、ロードマップ、リソースは比較的左脳(論理)的な部分ですが、本パートはよりHumanな部分です。
やはり会社という組織は「人」から成り立っています。その最大の特徴は「コントロールできない事」です。人だからミスもしますし、風邪もひきますし、不幸にも交通事故に逢ったりもしますし、予測を読み間違えたりもします。このコントロールの出来なさを織り込みながらのマネジメントが「良き経営者」の絶対条件の一つです。
その「織り込み」の一つ目として、Humanな要素を企業目標に織り込むことです。目標は簡単に修正・変更して良いものではないですが、「すべてが100%うまく行ったら達成できる目標」というのは実現性に乏しいです。なぜなら「コントロールが出来ない人間の所業」だからです。「コントロールが出来ない人間というものが実行するこの目標達成までのロードマップ、各要素何%だったら許容レベルで達成できるか?」を考え、それを実行目標にする必要があります。
とはいえ、目標を例えば「社員が実力の80%を発揮すれば達成できる」というラインに設定すればそれで十分なのか、というとそうではありません。人は「看過してもらえる」ことが続くと、それが「権利化」します。例えば夫婦間で、妻が買って冷蔵庫に保存しておいたプリンをある日夫が食べちゃったとします。その日は妻は猛抗議し、妻の為に新しいプリンを買ってくる様主張し、夫はそれに従います。その後日、また夫が妻のプリンを食べましたが、今回は妻は何も言いません。またその後日、夫は妻のプリンを食べます。この頃には夫は「あ、妻の買ってきたプリンを自分が食べても妻は不機嫌にならないんだ」という理解をし、「プリンを食べることは問題ではない=自分の権利だ」という理解になります。この先プリンだけでなく他のもの(最悪の場合お金とか)までエスカレートし手を出す可能性もあります。夫がプリンの権利を得るのは、本来であれば「自分も一緒にプリン食べたいので今後は代金払うので僕の分も買ってきてくれるかな?」といった様な自分が求めていることと相手にしてほしい行動をきちんとコミュニケーションし、相互に合意が取れた場合のみであるはずです。「看過」されているからと言って「権利化」することはないはずなのですが、それがHumanです。「権利化」は給与額、業務量、平和、健康などでも起きます。「誰も何も言わないし問題ない様だからこれまで与えられてきたものが所与のものとしてこれからも続くだろう」と。これがHuman要素の織り込みの2つ目で、「人間一般とそれぞれの個々人の特性を理解し、経営の各要素に対してどのように影響しうるか理解する」必要があります。
上記2つ目のHuman要素を理解した上で、改めて目標と照合し検討が行われます。「目標は80%で達成できるが、80%の実力を出してほしいと求めているのではないのだよな」とか「今80%の実力を出してもらっているからいいが、これから先繁忙期に入って営業部が『もっと緩く、60%とかでも看過してもらえそうだな』と思ってそうだな」と感じられた時分にはそれに応じたコミュニケーション・アクションを取る必要があります。これがHumanな要素の織り込みの3つ目の「Humanな要素を織り込んだコミュニケーション」です。内情に対してきちんと耳を傾ける時間をとったり、時には厳しい言葉を投げかけたりというHumanな対応が必要になります。
「経営者」というのは「役割期待」です。ある事業承継PEファンドの方は「プロフェッショナルファームを卒業した直後(あくまで「直後」です)のタレントを事業承継先の経営者(候補)として採用することはない」と仰っていました。その理由は「人がついてこないから」とのこと。この章の1つ目「情報収集・現況把握」と2つ目「目標設定・ロードマップ・リソース配分」は頭脳シャープなプロフェッショナルファーム出身者、特に戦略コンサルタントの得意分野ではあります。ですが、本パートで語った「人と組織のマネジメント」に関する役割期待に関する実績がプロフェッショナルファーム出身者は少なく、且つ「人と組織」は大きく失敗した際はダメージが大きいが故の判断なのだと思います。
逐次的チェックの上で継続、また撤退の判断
初回を大々的に行ってプロジェクトのガントチャートなどはきちんと作って、その初期動作で満足してしまう方々は多いです。しかし、経営・プロジェクトというのは目標に向かって「マネジメント側が管理し・実行者・推進者が管理される」仕組みを目標達成するまで継続させる必要があります。これをきちんと定期的に実行すること、またその為の仕組みを整えるのも経営者の役割です。
しかし、どう考えても目標達成できなかったり、目標達成の為にはリソースが許容範囲を超えるレベルで費やされることになったり、リスクが大きすぎたりといったケースももちろんあります。その際の撤退も経営者に求められているタスクです。これは本章のパート1、パート2が応用できます。「現況把握し、その上で『撤退』という目標設定とその為のロードマップとリソース配分を決める」ということです。
また、撤退の際であれ、目標達成の際であれきちんと総括をすることは大切です。企業には「Going Concern(事業継続の前提)」というものがあります。つまりは企業は出来る限り永続的に存在することが基本とされています。その為には利益を出し続けることが必要で、目標を達成し続ける事が求められます。その為には「目標を達成し続ける力を企業の内部Competencyとして蓄積すること」が「人間の所業として出来る事」です。もしかしたら「ラッキーであり続ける事」が利益を出し続け事業継続に最も貢献するのかもしれませんが、それは自分たちの企業内の活動でコントロールできることではないので経営者の実力ではありません(ラッキーであり続けるのは「持っている」と言えますが)。「目標を達成し続ける力を企業の内部Competencyとして蓄積する」為には達成からも、撤退からも学び、すべては成功でなくても成長を創出し続ける事です。
「やばい経営者」に関する投稿のはずでしたが、良き経営者に関する語りが長くなってしまった感があります。次章では「なぜ我々は経営者に騙されるのか(笑)」を考察します。
「経営者」というのは罪作り
経営者というのは、基本インパクトが強いものです。初見の際にあなたが「この人は物凄い経営者だ!」と思う人もいる事でしょう。ですが、インパクトは良き経営者の条件ではありません。経営者というのはインパクト・存在感があるが故に罪作りなのです。
経営者が罪作りな理由1:一応それなりの会社の社長ポジションにいるから
経営者が罪作りな理由として、「社長だから」というそもそもな理由が挙げられます。広義的な解釈をすると「ハロー効果」の一種かもしれません。「ある程度のサイズや業界・地域社会などである程度のプレゼンスがあるこの会社の社長なのだから」という理由で「その会社の社長は良き経営者なのだろう」と推測してしまいます。しかし、「会社のサイズ」がある、ある程度保っているからと言って「良き経営者がいる」とは限らなかったりします。例えばある会社の社長ですが、その会社のX代目オーナーのプライベートでの「遊び友達」という立場から社長になった方がいます。同社は既にX代目であることから一定規模の資産と業績を有していたのですが、「自分は経営に向いていない」と考えるオーナーに対し、その「遊び友達→社長」の方は「貴社のここをこう変えればいい」、「自分ならそれが出来る」とプライベートにプレゼンを行い、社長に就任された様です。
就任前まではレガシー産業だったものをブランディング好きな「遊び友達社長」が華やかに変えたのですが、華やかに変えるのに費やした投資、それを回収する売上・事業計画、達成までのKPIといった要素を全く考えずに「華やかさ」を求めてリブランディングしていきました(ぶっちゃけ、昔の「ブランディング」業界の人ってその程度の精緻さだったんですよね)。そのリブランディングもマスコミにもてはやされていましたが、その実として残ったのは「華やかな表面がある一方、投資に見合う収益が見られない不良資産」でした・・・。その社長は華やかに不良資産を残して社長を退任されました。
経営者が罪作りな理由2:カリスマ性
社長が罪作りな理由その2としては、社長というのは世の中の一般の方々に比べると「カリスマ性」というものに長けています。「カリスマ性」というのは「ああ、なんだかこの人の語る事ってすごいな」とか「この人の言うこと、実現しそうだな」とか、スーパー簡単に言うと「ああ、この人凄い!」と思わせてしまう力です。簡単に言うと超絶な「プレゼン力」「説得力」を持っているわけです。この「プレゼン力」「説得力」というのはフォーマルな場でのみ発揮されるものではなく、ちょっとした小話とか、立ち居振る舞いで既に周りを魅了したり、「ああ、なんか凄い」と思わせる力を持っていたりします。し・か・し、「なんだか凄いと思わせてしまうカリスマ性のある人」=「会社の経営をきちんと循環させられる良き経営者」だという等式は成り立つかというと、答えは絶対に「NO」です。一部の人は「カリスマ性のある人」且つ「良き経営者」ではあると思います。ですが、「カリスマ性のある人」=「良き経営者」という等式は成り立ちません。これもまたハロー効果の一種で、「カリスマ性を持った人は素晴らしい経営者に違いない」なんて思ってしまうわけです。
「カリスマ性」を作り出す背景的な要因として「セルフイメージの高さ」があげられるでしょう。簡単に言うと、現在社長になった人は駆け出しのころから「自分は何者かになれる選ばれし人間である」みたいなセルフイメージを持っていたりします。これが成功者とそうでない人を分ける大きな要因で、事業が崖っぷちの苦しい時にすべて投げ出してしまうか、崖の切っ先であっても踏みとどまって巻き返す機会をうかがうかはこの「自分は何か大きなものを成し遂げる人間である」といったセルフイメージの存在が境界線だと思います。この「セルフイメージ」が、外部の人が一瞬その社長を見た時に「凄い存在感だ!」みたいな印象を抱かせます。
し・か・し、対外的に一度の限りで発揮される「カリスマ性」「存在感」というものは「情報収集・現況分析し課題を見つけ」「課題に対する目標とロードマップ、リソース配分を決め」「それに対してHumanな要素を織り込みながら推進し」「それを逐次的に定期的に行っていき、やむを得ない場合は撤退判断」という前章で述べた「経営」というものの「必須要素」ではよくよく考えたら全くないのです。
「カリスマ性や存在感(印象)がある人が良い経営者(能力)だ」と言うのは、「イケメン(印象)のサッカー選手がテクニックのあるサッカー選手(能力)だ」と言っているのと同レベルの言説です。悪魔は嘗てアマチュアレベルですがサッカー選手でイケメンでしたが、テクニックは・・・(省略)
2ちゃんねる創設者のひろゆきさんが仰っているのですが、「経営者が本を書くとその会社の業績が下がる」という理論(こちら)があります。理由は執筆したことでその社長は各方面よりチヤホヤされ、自己承認欲求が満たされる、これまで会社を成長させることによって満たしてきた自分の承認欲求が他の所で満たされるようになったので、会社の成長の為のコミットメントを行わなくなるから、というなるほど理論です。「カリスマ経営者」というのはその「カリスマ性」からいろいろなところでチヤホヤされます。もしかしたら「経営者」は「チヤホヤされ始めたころ」が引き際なのかもしれません。
経営者が罪作りな理由3:そもそも中に居ないと判らない
あなたは他の家庭の家計状況が判りますか?勤務先とポジション、家のロケーション/広さ/築年数、車のグレードなどから推し量ることが出来るかとみなさんお考えでしょう。収入が高くても都内一等地に住み高級外車に乗っている様な方だと収入と同様に支出も大きい可能性か、それら資産を購入するためにローンを組んでいる可能性があります(ローンを組むことを否定しているわけではありません、念のため。マネージできる範囲でのレバレッジは有効な場合が多いです)。一方でつつましやかな生活をし、月々の収支の余剰を継続的に金融資産の積立投資をしている人の方が資産額が大きく、既に働かなくてもOKな蓄財(所謂FIREというやつです)をされているかもしれません。普通は、自分の家計をつまびらかに開示することはしませんので(100%家計開示している様なインフルエンサーの方っていらっしゃるんですかね(笑))、他の家庭の家計などは分かりません。また、その家計をどのようにマネージしていたり、どのような目標があったりといった、「意識と行動」も基本判りません。つまり、内部の人にしかわからないのです。
同様に、家計だけでなく、家庭の中での関係性のあり方だってそうです。夫婦でどういう共通認識を持っていたり、信頼の仕方をしているかなんて外部の人には判りません。外部の人はその人たちに触れた際に少しだけ垣間見えるものからしか判断できません。誰かの心が、どのように他の誰かの心に繋がって、どのような質感を持った関係性であるかなんて、その当事者にしかわからないのです。
同様の事が「会社経営」にも言えます。「経営者」の「経営能力」はその「経営される企業体」の中に居る人間にしかわかりません。そしてその「企業体」が大きいとその経営者の近くにいるものにしか「経営者」の能力が判らなかったりします。経営者からReporting Layerとして遠いと、ある決断が「経営者」が行ったのか、「経営陣」が行ったのか、「部のトップ」が行ったのかが判らなかったりします。「経営者の「意識と行動」」はその人が経営する企業体の中で、その経営者の判断が具に見えるポジションにいないと判らないのです。
「やばい経営者」を見抜く方法
なんか前章の終わり方が元も子も無い感じでしたが、それでも外部に居ながら「やばい経営者」を見抜く方法はあります。ここからが本題、それらについて述べていきますが、すいませんMECE(もれなくダブりなく)ではないのかと思います。その理由として
①私はこれまで数名の経営者を経営陣の一角として「具に見える」立場に居ましたが、それでも「具(つぶさ)に見える」程に一緒に働いた経営者は10名には至りません。やはりサンプル数として絶妙に足りない感はあります。
②人間の性格や特徴がそもそもME(Mutually Exclusive:ダブりなく)なんぞ言えるのか、と。つまり、ある表層的に見える特徴が根っこで何かと繋がっている共通の要素だったりするんではないか、と個人的に思ってます。
とはいえ表層的に見えるところに関してはダブりなく書きます。
脇道にちょっとずれましたが、私のこれまでのサンプルを観察した経験から導き出した「やばい経営者」の特徴を見ていきましょう。
9割話している人
まずは、その場における「会話の総量」の中でその人の話している量が著しく多い人、またそうでないと気が済まない人です。この方はアイデアマン傾向にあり、色々なアイデア・策を思いつき、それを人に話したり、実際にやってみたりしないと気が済まない人です。
もし、ある経営者がアイデアを語り始めたら、その方にリスク、推進方法、バックストップなど、全前章で述べた「良き経営者の要素」に基づく地に足の着いた質問をしてみましょう。そうした質問・指摘を真摯に聞いたり、「どうやったら確度高く成功するかな」という人は大丈夫な人です。一方、質問に対してはぐらかした回答をしたり、その質問を一旦遮り「まあ、聞いて」という風に自分の主張を続ける人は、ビジネスをしたいのではなく、「アイデアを語りたい人」です。つまり、アイデアを披露すること自体(ないしはそのアイデアを考えること自体)が目的だったりします。本当にビジネスに意識がある人であれば、第一章で言及したうちの「目的とリソース配分」の一環として「どういう場合においてどのリソースをどういう風に割り当てるか」というシナリオまで考えてみるのですね。そういうことをせず、「俺の~♪アイデア~♬」とアイデアを語って悦に浸っている方はビジネスではなく、アイデアに意識がある方です。あ、「地に足の着いた質問」をされた際に不機嫌になる方はもちろん言語道断です。
また、「アイデア語り」の傾向がある経営者に1か月、2か月といったある程度のインターバルを置いて何度かお会いする機会がある方は、「前回お会いした時に仰っていたあのアイデアの進捗状況はいかがですか?」と聞いてみてください。アイデア意識型の人はそのアイデアを外部に発表した途端に満足してしまいまうため、ほぼほぼ進んでいなかったりします。そういう経営者でも、アイデアを組織の中で表明して、ちょっとだけ誰かに対応させる、というのはやったりします。しかし、ビジネスというはまっさらなStart-upであるならともかく、既存組織内の新規事業であるならば「アサインされた人/組織が継続してそれに取り掛かれる仕組み」が必要になります。既存の組織であればそこにいる人は既に「元々やっていた仕事」がありますので、新しい事業に時間をさけるようになるため社内リソースの配分(業務分担の見直し等)や、何より経営者が結果を出すため(若しくは結果が出るか否かを判断するに至る為)にその担当者に権限を与えたり、進捗を管理したりといった、「容認力」と「管理力」の両方のスタミナが必要になってきます。しかし、「アイデア意識型」の経営者は自分のアイデアを表明した途端、「容認力」と「管理力」のスタミナはほぼ皆無になります。結果としてキャッシュやプロフィットというFinancialなもの、Non-Financialなもの(関係性や意識など)の両方を含めて「成果が出る」というところまで至らずに終わります。だって「アイデア」が好きで、「ビジネス」が好きなわけではないですから、「成果」というものにはあまり頓着しないのです(本人は気が付いていないかもしれませんが)。
しかし、アイデアというのは「1秒あれば思いつく(大袈裟ですが)」一方、それをビジネスに落とし込み、世に出せる様な形になるのはいくらアジャイルにやっても3か月、成果がついてくるのはその後になります。「アイデア意識型」経営者の方はそもそも「ビジネス」が好き=「ビジネスで成果を出す自分が好き」なわけでは無く、「数多くのアイデアを生み出す自分が好き」なわけです。つまり、ポンポコポンポコとアイデアを出し、現場のスタッフにやらせてみます。その際、前述の「リソース配分」などは無視なので新担当者は十分な労力を割けず、そして次の週にはまた新たなアイデアが出てきてそれがまたのしかかり‥‥という惨状。「最速で成功を勝ち取る為には最速で失敗すること」という格言(?)があり、それには当方も同意するのですが、「成功するための体制・リソース配分」も含めることを考えず、向う見ずに取り掛かっても・・・というのはあります。スポーツ選手に例えてみると、「たぐいまれな才能=アイデア」があっても、それだけでプロ選手になれるということは無くて、「まず、継続的に練習すること、その上で自分が上達するための練習方法や試合でのポジショニング、技術やメンタルの使い方を色々トライアンドエラーで考えて」ということを行って漸くプロが近づくわけです。「アイデア意識型」の社長が主導するビジネスは「才能があるが練習しない未完の大器」の様なものです。成功するのは非常にレアですね。
「自分がやった」を主張する人
世の中にはいろいろなサイズの会社があるものです、従業員数という指標でも一桁~数万人と大きくサイズで異なります。ただ、ひとり社長でない限り企業運営・事業というのは「チーム」で「組織的に」動くのを是としています。そうでなければ複数名が協働して「集団」「組織」「企業」としてビジネスをする意味が無いですから。
何か成果を上げている企業があり、その会社の社長さんが「自分はXXという実績を上げた」「自分がXXをやった」という場合は要注意です。独り社長の場合を除いて。要注意ワードは皆さんお判りだと思いますが「自分が」です。
これが要注意ワードである理由は、「組織」「会社」よりも「自分自身」が優先されている発言であるからです。会社のオーナー、社長であったとしても会社という組織の中の業績・実績として完全に「その人のソロワークとしての」業績というものはありません。オフィスやPCを用意するのは人事総務部の役割ですし、そうした購入をしたら経理部の人が会計ソフトに記帳することでしょう、また社長のアイデアを資料に落とし込むアシスタントがいるはずです、プレゼン等は社長自らやったとして、成約した後に契約書を作成するのはまた別の人間で、且つその後の請求書・お金のやり取りにはまた経理部のマターになります。これらのいろいろな部署とそこで働いている人の連鎖で成果は作られます。つまり、「個人がXXをやった」というのは無く、「会社がXXをやった」なのです。
しかし、この「自分がXXをやった」という発言をする経営者はいます。この発言には2つのブラック経営者の影を伺わせます。1つ目としては、経営者が組織・会社の各組織の機能や業務量を把握・理解できていないことです。それゆえに各部署の適正人員を把握できなかったりするので、「バックオフィスはコストセンターだから人数削減しよう」と言い始めたりします。また、新しくプロジェクトを始める際に社内に以前からいらっしゃる担当社員Aさんを指名したとします。しかし、Aさんがこれまで抱えてきた業務を他者へと振り分け、Aさんが新プロジェクトに取り組む業務的キャパシティを作り出すことなくただ新プロジェクトの担当として指名したりします。結果、このプロジェクトは上手く回りません。何が出来ていないかというと、社内リソースの把握と理解が出来ていないのです。第一章で「リソースの最適配分」について書きましたが、その以前の把握・理解の段階から出来ていない(というか興味が無い)のです。マネジメントが上手くいくはずがありません。
「自分がやった」発言の2つ目のブラックな影は、会社の目標と自分の役割を連動させていない点およびそれが故にこの発言は組織が洗練されていない感を覗かせる点です。上述の通り、会社は組織ですので組織目標というものがあります(というかあるべきです)。そして、前々章で述べた通り会社は「人の組織」ですし、目標を達成に至らしめる行為は「人の組織の所業」です。組織のトップの機能としてのあるべき姿はその「人の組織の所業」を定期的に継続的にマネジメントし、目標達成することです。「自分がXXをやった」という発言が真実だとすれば
①スタートアップの初期段階で本当に一人でやった
②会社が非常に危機的でトップが動かないといけない
③トップが役割期待を理解していないで「成果」を取りに行っている
のどれかです。①はスタートアップというのはそういうものと言えばそういうものですので致し方ないでしょう。②もまあ許容範囲でしょう(というか、やばいので自分の成果をひけらかしている場合ではないですね(笑))。③は短期的な危機ではないかもしれませんが、「経営者の役割を理解していない経営者が経営している」ということです。
し・か・し、「自分がXXをやった」などという発言を繰り出せる方というのは「セルフイメージが高い」方です。つまり、カリスマがあったりして「この人は凄い経営者だ!」と外部の方に勘違いさせてしまう可能性があります。このブログの読者の皆様にはその点きちんとしたパラダイムで判断できる力を養ってほしいです。
時間の話をしない人
これまで話したことに連関しますが、「社内リソースが把握できていない」方が「アイデア語り」をすると、時間の概念が欠如している場合が多いです。しかし、「経営者ポジション」にいる人は「お金=数字」には比較的強くて、新規プロジェクト構想の投資額とかリターンの理想像なんかはフェルミ推定で結構すらすらと出てくるものだったりします。「こういうアイデアがあって、資金使途としてAとBとCがあって合計XX億円必要で、それの結果として売上とコストがいくらで年間XX億円の利益が生み出される」とかは念仏の様にサラリと出てくることが多いです。これまたハロー効果で、「この社長は数字に強い!良き経営者に違いない!」という勘違いをさせてしまいがちです。
ただ、このコメントに欠けている視点としてはその最終的に「年間XX億円の利益が生み出される」までに何年掛かるかとその間にどういうリソース配分が必要か、という部分です。何度も言いますが、会社の経営は「人の組織の所業」です。パッとアイデアをだして翌朝にその利益が生み出されるというのはありません。経年的に組織とその中の人の行動をコントロールして達成されるのが成果です。「アイデアを生み出す」ことと、「成果を出す」ことは別事象です。こういうことから、話す内容のなかで時間の概念が欠如している人に出会ったとしたら「経営者として要注意」だと思ったほうが無難です。話している内容が「皮算用」に過ぎないケースが多々あります。
まとめ
今回もまた当初の予定を大幅に超過して長々と書いてしまいました。そして体調不良の中で書いていたので非常に疲れました。ですが、書き終わってみて「良き経営者の要素」についてはより深掘りが必要と感じましたので、後日投稿でその機会を設けたいと思いますので楽しみにしてください。ちゃお。