みなさん、スイマセン・・・。 年初からいろいろなことが立て込んでしまいまして、投稿の間隔が長くなってしまいました。気を取り直して投稿は粛々と継続していきますよっ(キリッ)。今回は「企業の成長ステージPart 3」です。「企業の成長ステージPart 2」の投稿からワールドカップの記事を挟んでなかなかの時間が経ってしまいました。「企業の成長ステージPart 2」では「仕組み化」がキーワードでしたが、Part 3はその先です。なかなかお目にかかれないですが、「仕組み化」のその先にある「クリエイティブ仕組み企業」がこのステージの特徴です。この特徴を備えたステージを「成熟期」と呼びましょう。それではこの「Part 3成熟期」を見ていきましょう。
目次-Table of Contents
「仕組み化」だけでかなりハードルが高いのよ
Part1で語った非効率で永続性が乏しい「学園祭的価値提供の構築」ステージでバーンアウト(燃え尽き)せず、Part2の「再現性」をもたらす「仕組み化」を達成するだけでも素晴らしい事です。これで、会社はある程度自動走行できたりします。がしかし、「仕組み化」にもそのダウンサイド(負の側面)があります。この「負の側面」を感じ始めるころ、次のステージに向けて「仕組み化」からの脱皮といいますか、「仕組み」を活かしつつ「クリエイティブ」ないし「イノベーティブ」な要素を付け加える時期、つまり「成熟期」に向かっての助走が始まります。ただし、言っておきますがぶっちゃけてしまいますと、「仕組み化」の負の側面を問題視出来るというのは経営としてある意味「高尚なお悩み」で御座いまして、恐らく世界全体ないし日本全体の1%の企業もこのレベルに至っていない、多分0.1%の企業ですら至っていないと思われるからです。
「仕組み」と「ホワイト化」
「成熟期」に向かう企業であったとしても、基本ベースは「仕組み化」に依存しております。明確に決められた領域の中で、ある程度本業集中できる環境がありまた達成すべき期待値がクリアにあり、それをこなして・達成していくことでそれに対する金銭的報酬や次の役割期待が待っている、という文字の上では非常に「ホワイト」な環境、それが「仕組み化」です。「文字の上では」と述べたのは、「ホワイト」を規定するものって一つだけではないからです。仕事の難しさ、つまり「ブラックさ」への貢献要素は複数あり、クライアントからのタスク要求内容(量、抽象性、複雑性)、そのクライアントとのコミュニケーションの難しさといった会社の外にある要素や、社内組織やその組織に属する人間のリソースといった社内要素も「ブラックさ」を構成する一部です。つまり、簡単に言うと「ホワイト企業」というのは「言うは易く行うは難し」なんですね。
例えば、「あなたの役割期待は一日23時間働けば達成できます!」と言われるのは期待値として大変明確ではあります、また「この達成は人事評価の○○の要素に結び付いており、これによって年度末ボーナス査定のポイント○○アップ、また上位ポジションへの昇進ポイントが○○アップします」と言われるのは期待値と達成した暁の報酬は非常に明確です。明確ではありますが「一日23時間働く」という要求がある時点で「えげつない」ので、こうした会社は「ブラック認定」されてしまうことでしょう。
「仕組み化」したいのにできない企業のその根本原因
もしかしたら今回の投稿ではなく、「企業の成長ステージPart2」にて言及すべき内容であったかもしれませんが、「仕組み化」出来ない企業の根本原因は二つ複雑に絡み合った要素、①「経営」のダイナミズムを理解できていない、②「抽象と具象をきちんと行き来できない」の2要素が原因で、まずは仕組み化初期においては経営者がこの2要素をきちんと理解して実行していかないと「仕組み化」は破綻するか、もしくは表面上は機能しているように見えても実態を伴わないものに留まります。この要素を見ていきましょう。
「仕組み化」は経営のダイナミズムの理解から
これは一部の方、いや恐らく多くの方々にとってはかなりの「謎ワード」かもしれません。経営者は自社の会社の経営の各要素を連関させて、一つのダイナミズム、エコシステムとして考える必要がある、ということです。これでも依然として「謎ワード」かもしれませんが。例えていうと、自動車を会社というもののアナロジーとして考えてみた場合、自動車という一つのエコシステムを構成する一要素としての歯車(ギア)があるとします。ここで、ギアは会社においてはある仕事を担当している社員を指してもいいですし、一部署でもいいです。人間を部品に例えるのは「切り抜き」にあった際には叩かれそうですが、あくまでアナロジーで他意は御座いません。さて、そのギアが異なるスペックのType AとType Bから選べるとして、Type AとType Bをどちらを選んだ際にも自動車全体のパフォーマンスが変わらないように設定したいと思う場合には他の構成要素をType Aを選んだ場合とType Bを選んだ場合でそのパフォーマンスに見合う様に変えなければいけないですし、Type A, Type Bを選んだ場合のいずれの場合でも他の構成要素は不変の設定にしたいという意向の場合、最終的な自動車のパフォーマンスはType AとType Bの場合で異なってきます。何か一構成要素を変化させると、全体エコシステムのダイナミズムが変わる、ということです。
そして、これは時間軸である一場面で切り取ってのアナロジーですが、会社/自動車という内部のメカニズムだけ見ても、「時間の経過」に従って変化が起きてきます。自動車部品で言うと「経年劣化」が起きたり、会社及びその中の人間で行くと、学習効果が働いたり、急成長が起こったり、退社や入社でそのユニットのダイナミズムが変化したりということもあります。また、このダイナミズムというのは組織とかユニットとかの「そこにあるもの」だけではなく、週にどのくらいの頻度でどのくらいの時間運転するか、ドライバーのハンドルの操作の仕方、ブレーキやアクセルの踏み方などといった「意思決定と行動のタイミングとその行い方」の様な要素もダイナミズムに影響をします。
また、加えて内部だけではなく、PEST(Politics=政治、Economy=経済、Society=社会、Technology=技術)分析で用いられる様な外部環境の変化とも会社は不可分ですので、その影響も受けます。例えば、最低賃金の上昇(P,E)や、IoTツールやシステム導入(T)での自動化などですね。
こうした様に、会社という組織、またその経営という作業は、それを構成するユニットの連鎖、意思決定の連鎖、また外部環境とのインタラクション(相互作用)によってダイナミックに変わっていく、動かしていくものなのです。これはセオリーです。まず、このセオリーに対する「理解」と「意識(+行動)」をする必要があります。特に「意識(+行動)」の方が重要で、例えば大学受験の数学をアナロジーに出しますが、①公式を覚え、②ある数学の問題が出てきた際にその公式を使うべき問題だと判断し、その公式を適用して解を出す、ここまでが受験に必要な数学です(少なくとも現代の日本の大学受験数学はここまでしか基本求めていないかと)。ここまでは「理解」です。経営で行くと「経営学者」の領域です。
さて、その次のステップが「意識(∔行動)」なのですが、これは①、②だけではなく、③自分が公式を適用しようとする対象、理解しようとする対象、解を出そうとする対象を自ら選び出す、ということです。つまりは「問題が出て来たら公式を当てはめて解を導きだせます!」という大学受験数学ではなく、「世の中の現象(ここでは会社の経営)に対して自ら能動的に公式を当てはめていって、公式に従って解を出し、それを実践しようとするか?」という自ら問題を作りに行く(こう書くとトラブルメーカーみたいに聞こえますね(笑))という「意識」が必要となります。これが経営において「経営学者」と「経営者」、より厳密には「経営実践者」を分ける分水嶺です。
頭の中で経営というもののセオリーは「理解」していても、自分は会社を「経営」している立場であるにも拘らず、その経営の対象である「会社」に対する「意識」が希薄だったり、自分が経営している「会社」に対してセオリーがどういう風に適用されて、どのようなダイナミズムが形成されて今の会社を構成しているのかという「理解と行動をしようとする意識」、またその会社が望む方向に向かう為にはどのユニット(群)とどの連鎖に変更を加えることがベストなのかという「行動を構築する様な意識」が必要になります。
「理解」は頭で出来ていても「意識」が無いから適用できない例を簡単な一部分だけを切り取って話します。会社というダイナミズム、エコシステムの連関性を考えると、全社の目標をそれを構成する組織のミッションに合わせて細分化したものが部署目標になりますし、その部署の目標を細分化したものが個人の達成目標となります。そして個人の達成目標を基に人事評価(年次評価、ボーナス査定、昇進査定)になります。つまり人事制度は全社目標を達成するための仕組みです。ですが、「人事制度」の「制度」面だけを独立させてそこの仕組みだけを整えるという作業を行おうとする会社は数多とあります。一つだけを独立して変えようとするが故に「嚙み合わない歯車の組み合わせ」を作ってしまう人が多い。これは「行動(実践)の失敗(意識はして、それに即してやってみようとしたが、読みが外れた)」ではなく、「意識の失敗(そもそも意識してなかったので、実践が的外れ)」なのですね。つまり防ごうと思えば防げるものです。皮肉っぽく言いますが、多くの「経営者」はこの「意識」が出来ていない、つまり多くの「経営者」は「経営実践者」ではないです、残念なことに。
さて、「仕組み化」の話に戻りますが、この「経営ダイナミズムに対する意識」が必要不可欠になります。自分たちは経営のエコシステムの中で、どの部分を「仕組み化」しようとしているのか、そこを、例えば現状は人間が行っている作業を仕組み/システムに置き換えた場合には関連する部署や意思決定の仕方がどういう風に変わってくるのか、そうしたコーディネーションを意識しながら「仕組み化」しないと、前述の「嚙み合わない歯車の組み合わせ」と化します。
抽象と具象の行ったり来たり
さて、「仕組み化」の要素の2つ目は「抽象と具象の行ったり来たり」です。何じゃらほい、と思う方も多いでしょう。これは私が遠い過去に直面した事例に即して話してみましょう。
嘗て私も会社員として会社に勤務していた時代がありました、あったんです(以前の投稿で述べてますが(笑))。そこではあるとき「10時以降の残業の基本禁止」というのが謳われました。これが私の指すところの「抽象」になります。ですが、私自身も当時は月の残業時間が100時間超えは普通でしたし、取引先等の時差の関係もあり10時前に仕事を終われることすら稀な状態でした。上述「抽象」を達成する様な「具象」、つまり「実質的にどうやってそれを達成するのか?」が全く「仕組み化」出来ておりませんでした。例えば、「時間の取られる作業は外注しても良いこととする」とか、「10時以降の国際ビデオ会議はリモートワーク可とする」とか、「10時以降の残業が常態化している部署には作業量モニタリングの上、その部署に合わせた作業自動化ツールを開発することを許可する」とか全く無きままに「標題的用語=抽象」を達成しようとしておりました。「仕組み化」を謳う経営者は多いですが、それがどの様な目標のに対して、何をどのように達成するのかの「具象」を描きながらの仕組み化を出来ている人はやはり少ないです。
さて、仕組み化できない根本原因に1つの章を割きましたが、次章では「仕組み化」の次のステージ「成熟クリエイティブ企業」を見ていきましょう。
仕組みの終焉と「誰が仕組みを変えるのか?」
前章まるまるっとちょっと脇道に逸れましたが、「仕組み」はそれが機能していて、成果を出しているうちは素晴らしいものではあります。しかし、特に外部環境の変化によってそれが上手く機能しなく時が必ずあり、且つ仕組みというのは突貫で変えようとしても浸透に半年くらい、その上で成果が出るのはそれ以上の時間が必要になるものです。
つまりはある程度「先回り」が必要となるのですが、まだ完全に判りえない未来に対して仮説の上で「今の仕組みから脱却して未来のある時期から一定期間機能する仕組み」を考え、構築し、実施することが出来る会社が「成熟した」会社かと思います。
仕組みを変える‐実例
ここで「仕組みの中で、その枠内でサービスやコスト、プロセスの改善を目指す」というTacticalな側面は現場の人間でも対応できますが、「仕組み自体を変える」というStrategicな側面は誰がやるのか?という疑問が浮かび上がります。良く様々な場面で語られるのが「日本の携帯電話のスマートフォンへの敗北」です。iPhoneが初めて世の中に出たのは2007年ですが、2000年代の大半において日本の携帯電話とその周辺サービス群、いわゆる「ガラケー」における「iモード」に代表されるネイティブアプリサービス、メール、インターネット接続といったサービス及び「絵文字」「着メロ」といった文化は世界の最先端を走っていました。ただ、日本の携帯電話キャリア及びメーカーは「ガラケーの延長上にある進化」を予想していて、iPhoneに代表されるスマートフォンによるDisruption(創造的破壊)を内から起こせなかったと共に、うまく波に乗れず「覇権に敗れた」形となりました。このスマートフォンはそれ以来15年程は主流の「仕組み」となっているわけですが、それ自体も何か他の代替デバイスにとって変わられる可能性はあります。ともあれ、その15年覇権を創り上げたiPhoneですが、これはSteve Jobsという強烈な個、ある意味パワハラとも思えるくらい完璧なまでにディテールと世界観に拘ることを従業員に押し付ける人のリーダーシップがあったからこそかと思います。Logicによる最適解は「仕組み」の中では答えを出せますが、「新しい仕組みを作る」というInnovationはLogicが機能する「既存の仕組み」の外からやって来ます。
このガラケーvsスマートフォン(iPhone)の例はデバイス・プロダクトに関する例で、この場合は明確な競合がいる場合です。一方、会社の運営方法、例えば人事制度などは明確な競合・敵がいるわけではありません。ですが、その仕組み自体が古臭くなってしまう、機能しなくなる、などということは起こりうるわけです。
誰が「仕組み」を変革するのか?
「仕組み」が古臭くなった際にStrategicに「仕組み自体」の変革がいずれかの場面で必要になることについては述べました。しかし、それを「誰がやるの?」という疑問が出てきます。恐らくiPhone/スマートフォンというのはSteve Jobsという強烈な個性がいないと出来なかったかと思います。最近の例ではElon Musk氏がTwitterを買収し、企業としての成長戦略を提示することが出来なかった旧経営陣を一掃したのが話題となっていましたが、これも「強烈な個性」の人による変革の例だと思います。こうした「強烈な個性」は目を引くものの、それが絶対な必要条件であるとは必ずしも言えないかと思われます。
変革者の要件その①変革に対するStake
まず、変革者の要件のその1つ目は「変革に対するStake」つまり、変革に対する利害関係によって「変革が起こらないといけない!」と考えている人であることです。その意味でSteve JobsはiPhoneというデバイスでデバイス、iOSというOS, App Storeというマネタイズプラットフォームというエコシステムの構築・マネタイズにインセンティブを持っていましたし、Elon Muskも「ポテンシャルはあるが非線形の成長が必要であるがために変革が必要」と考え、変革にインセンティブを持っていた人だったと言えます。
逆に、ある会社のサラリーマンで、既存の仕組みである程度の評価をされていて、「既存の仕組みの継続>新たな仕組み」という意識の方は変革に対してStakeは持ちえることはかなり限定的です。内部から変革者が現れることは否定できないのですが、それが難しいのは今既に「覚えのいい人」は既得権益に縋ったほうが楽である一方、「覚えの良くない人」が変革をやる事は次の項目に関連しますが、そもそも「日の目を見ていない人」なので推進力が無かったり、変革ではなくただの「反乱」になったりしがちである為かと思います。
ともあれ、まず大切なのは「Stake」であると。
変革者の要件その②会社を動かしきれるか否か?
第二の要件として、「会社を動かしきれるか」というのが挙げられると思います。この点、Steve JobsやElon Muskなんかは明らかですよね、会社Topでありそもそも会社に影響力を持ち得る存在です。
一方で、日系企業の場合で柳井さんとか三木谷さんみたいな明らかな巨大Leadershipを持ち得なくとも「変革者」になり得る可能性があります。どういうことかというと、前項と対立する様な事を言ってしまうのですが、「株主など社内権力者の覚えが良くて、変革を志向していて、その変革をきちんと含めて全社を巻き込める」という条件が出てきます。「覚えのいい人」じゃないか!という突っ込みがあるかと思います。そうです、「覚えのいい人」でないと変革できるポジションにまで上げてもらえずに単なる「反乱」になりますから。ただ、その「覚えのいい人」ではあるのですが、「既存の仕組みの継続>新たな仕組み」とは思っていません。「新たな仕組みを作る事=変革」にはStakeを持っている人です。例えとして、明治維新を出します。戊辰戦争の前に幕府は「大政奉還」ということを行いましたが、その「大政奉還」の後も、天皇の下で引き続き幕府が政治を運営していくことを前提に考えており、時の将軍の徳川慶喜が今の総理大臣チックなポジションになる想定でいました、つまり「既存の仕組みの継続」です。一方、薩長を中心とした反幕府軍は「新たな仕組み」を模索しており、その形式として「天皇親政」形式を採用しようということで「天皇」という権力者のバックアップを得ました。それによって、薩長を中心とした「反幕府軍」は天皇の錦の御旗というお墨付きを得た「官軍」となり、幕府軍は反官軍、つまりは「反政府軍」となったわけです。このコンテクストにおいて、薩長は「権力者の覚えが良い変革志向者で、日本全体を巻き込むことが出来た」という訳です。
ここで重要なのは「天皇の覚え」と共に「日本全体を巻き込むことが出来た」ことです。これはどういうことかというと他の諸藩との連立も含め、幕府に対してそこそこの戦いを挑めるだけの実力があったということです。つまり変革を成し遂げる事が出来る蓋然性があったのかと推測されます。幕末期には幕府がすでに弱体化しており、その一方で特に薩摩藩などはあまり表に出せない形の収入源があり、また近代技術の導入も積極的でした。また、薩長のどちらも欧米に戦争を仕掛けるなど武闘派で、幕府軍に対して「ある程度勝ちが見込める戦争」を仕掛ける事が出来たかと思います。つまり、「社会を動かしきれる実力があった」と言えるかと思います。
「倍返しだ」などという「私刑」を高らかに叫ぶ銀行員は狂気の沙汰、クーデターでしかないでしょう。そのクーデターを「私刑」でなく、「権力者からのバックアップ」を基にした「新たな好循環の仕組み」の構築の為の所業となんで描けなかったのかと思う訳ですが、それだとドラマ性が足りないのですかね?
ともあれ、明治維新もドラマチックな訳ですが、伊藤忠商事を業界No. 1に押し上げた岡藤さんなどは(外部から見るとそこまで「変革」という香りはしないかもしれませんが)、社内権力者の方からきちんと信任を得た上で変革を繰り返して業績を向上させていったのであろうな、という推測がなされます。
変革者の要件その③変革後のJustification
第3の要件は「後出しじゃんけん」「事後報告」みたいな要件となってしまいますが、「変革が上手くいったかどうか?」です。既存の仕組みを破壊するだけでは単なるDisrupter(破壊者)です。その後きちんと、現状の社会と会社のコンテクストにあった仕組みを定着させ、運用させていくことが出来て初めての変革者としてのステータスが得られます。1993年、いろんな政党を束ねて政権与党になって細川護熙という方が総理大臣になりました。「細川連立政権」と呼ばれ、約40年間続いていた自民党政権を(一旦)終結させたことで大ブームになりました。が、1年程度で再度自民党が政権与党に返り咲いたため、ブームは起こったが何か実のある政策的変革を成し遂げられたかと問われると非常に限定的です。
また明治維新の話となりますが、新政権が富国強兵という政策を掲げ実のある変革を実践し、アップダウンはあれど継続的な近代化をしていったからこそ「明治維新=変革」として市民権を得ていることを考えると、「一瞬のブームのその後」、つまりは経営者の本分である「変革後の連続的な経営の実践による成果」が「変革」を正当化させることが出来るものと言えます。
さて、この章では「仕組み」の交代としての「変革」を誰がやるのか?を語りましたが、次章というかまとめの章ですが「成熟企業:クリエイティブ仕組み企業」を簡単ですが語っていきます。
「クリエイティブ仕組み企業」という理想形(という形のまとめ)
実はこの章をどうやって作るか微妙に悩んだんですよね。というのも理想とされる企業の形は外部環境等を基に常に変化していくもので、理想とされる企業の形は現在進行形で変化中であり、また個別具体的なものであるからです。とはいえ「成熟企業=クリエイティブ仕組み企業」と言った手前何かそれに触れないとなぁ・・・とかも考えたり(笑)なので、本章はあまりコアな部分を抉り切っていないかもしれません。簡単に纏めというか、纏めにもなっていないFinal Wordを以下に記述します。
1990年代~2010年頃までのビジネス界の最大のKey Wordは「Logic」であったと思います。で、Logicに従った形での経営の形態が「仕組み化」でした。「Logic」の体現者としてそれらを駆使する企業と言えば戦略コンサル等でしょうか。とはいえ、これまでも申し上げている通り、仕組み化が出来ている企業もごく少数ですし、やはり「仕組み化」は最先端ではないかもしれませんが、効果的かつ効率的であるため、依然として非常に有効な経営の行い方だと思います。
2010年頃を境にしてKey Wordが「Logic」から「Innovation」に変わってきました。「Innovation」を体現する企業としてはGAFAMに代表されるTech系企業や、数多のスタートアップがこのKey Wordの体現者だと思います。この「Innovation」を上手く吸い上げながら経営に生かすためにこれまでの「仕組み」を変えて「Innovationを内包できる=クリエイティビティを仕組みの中に埋め込むことが出来る会社」を変革により作り上げることがこの「Innovation」というKey Wordを内包した経営の形だと思っています。これが今回の投稿のコアで、これらが出来る企業を「成熟企業」と呼ばせて頂きました。ここが今「成熟企業=時代の最先端を取り込んでいい感じにNiceな経営が出来ている企業」ということですが、これもまたいずれ過去のものになる日が来ます。
もう既に次のKey Wordが出てきているのかもしれませんが、私自身の経営マターに関する肌感覚で次のKey Wordが何かを聞かれたら「Human Centric(人間中心)」なのかなと思います。人間の心の機微を理解し、組織構築、目標設定といった会社経営に活かすというものです。最近「人的資本経営」とか言われていて、この言葉自体も、日本でそれを使うことにもあまり好感は持っていないのですが(これは今度書きます)、その言葉の意図することと重複している内容かもしれません。これの出現によって、Logicの価値が減るとも、Innovationの価値が減るとも思いませんが、それらLogic, Innovationの上にHuman Centricという新たな「層」がビジネス、会社経営において加わり、この領域が更に洗練されたものへとなっていくのかと思います。
「Logic」が重用していた(いる)キースキルは「Logical Thinking」というスキルでしょう。「Innovation」が重用していたのは「Innovative Thinking」もそうなのですが、Innovationは技術的な最前線で起こるということもあり、「Engineering」や「Programming」がキースキルだったと思います。私の「Human Centric」という見立てに従ったキースキルは「心理学の対人での実践と組織運営・構築への応用」となると思います。さて、私が当たっているかどうかも判らないですが、次世代のキースキルを学びたい方は自己責任・自己判断の上でスキルラーニングしてみてください。ではでは。