作家の鈴木涼美さんが「自分の持っているものを手放す勇気がない人(おじさん)は魅力的じゃない」とPivotのYouTubeチャンネルのインタビューで仰ってました(リンクはこちら)。さすが、「おじさん研究」の第一人者の鈴木さんの鋭いコメントです。てか、悪魔こと私も鈴木さんの著書を全部読んではいないのですが、拝読した本はぶっちゃけ悪魔的に面白かったです。いずれ「悪魔会」みたいなカルト集団一緒に作れないかな♬
とはいえ、そういったことはさておき、鈴木さんのおっしゃることは「既得権益を手放せるか否か、どういう風に手放すか?」という問題です。既得権益を手放すって、私(わたくし)的なことを手放して、現在および将来の時流を見定めた中で「こうあるべし」というものに対して機会を与える行為ではないですか。その中で、自らが得られるであろうポジション、経済的利益といったBenefitを手放す必要があります。その潔さを持つのは非常に難しいです、簡単に言うと「自腹を切る」ことですから。特に「終身雇用」で「年功序列」が主であった日本の企業文化においては「うま味は後からやってくる」傾向があります、つまり「おじさんが華」な文化です。また「既得権益」を手放したとしても時代を切り開くヒーローにはなれない、という「ババを引く」役です。ヒーローは自分が扉を開いた際に入ってきた「次世代」の人ですから。そんな悲しき「既得権益おじさん」が招いた「失われた30年」という言説(悪魔こと私の言説です、テヘ)を見ていきましょう。
目次-Table of Contents
「既得権益おじさん」的意識の特徴とは
ちょっと上で書きましたが日本文化をバックボーンとした日本の企業文化は「終身雇用」で「年功序列」型です。「能力」の貢献度が影響しない訳ではないですが、「どれだけ長くその会社で働いたか?」が昇進や給与額の最大決定要因となります。「年功序列」型の企業では「新卒入社後3年間、素晴らしくバリバリの貢献をしてきた4年目社員」の給与が「全く成果を出せないままだが同じ会社で過ごしてきた20年目社員(因みにぶっちゃけこういう人はいたりします)」の給与より高いことは絶対にと言っていいほどありません。また、今は徐々にシステムが緩んできていますが「退職金」と「企業年金」という「老後の楽しみ(笑)」も日本企業では待ち構えていたりします。つまり、日本の伝統的な企業文化は「おじさんが既得権益に走りやすい」という特徴がありました。
とはいえ、上述だけでは「既得権益おじさんという存在は既得権益に走りやすい状態で既得権益に走る人だ」といったTautology(同義語反復)でしかなく、何も特徴をつかんではいません。「既得権益おじさん」の逆説的な反証としては「おじさん」であっても「自らの立ち位置に固執しない」のであれば「既得権益おじさん」とは見做されない訳です。さて、この「既得権益おじさん」と「ノン既得権益おじさん」を分ける境目は何でしょうか?以下で見ていきましょう。
自らを「大局」の中に位置づけて考えられるか、そうではないか?
「士族の商法」という言葉が明治期に生まれました。明治維新を経て、特権を失った士族階級が商売を始めてみたものの、勝手知らずに失敗するということが多発したため生まれた言葉です。
が、「商売を始めることを試みた士族」は少なくとも時流を読めていた人だと言えます。「今後は俸禄に頼った生活が出来なくなる、つまり自らが稼ぎ、自らと家族の生活を守らねば。」と考え、きちんと行動できた人たちだからです。私は「マネジメントの悪魔」ですので、その時代に生きていたら「士族さんたちと一緒に商売で失敗しないマネジメントを考える」ということをして、商売の精緻化を図りたいところではありますが、「自らの於かれている環境は常にダイナミックに変わる、『自分の於かれている立場』や『自分が生き延びていくためにベストな方法』もそのダイナミックな環境のもとで変わる」という意識でアップデートできるか否かが「既得権益おじさん」と「ノン既得権益おじさん」を分ける境目の要素の一つかと思います。
特に「変革期」においてはアップデートの必要性を浮き彫りにします。時代の潮目、時流の変革期ですから。その「時流の変革期」が「明治維新」であり、「第二次世界大戦後」であり、「バブル崩壊期(これが「失われた30年」に繋がります)」だったということですね。
「将来キャッシュフロー」の話を語ろう
タイトル的に急に話が変な方向に向かいそうですが、一応マジメなお話。M&Aで企業価値算定に用いられるメジャーな方法の一つですで「割引キャッシュフロー法(DCF法)」というモノがあります。非常にざっくり言うと「ある会社が事業計画上で将来的に生み出すキャッシュフロー(将来キャッシュフロー)を合算し、それを金利X年数で割り戻した数値がその会社の現在価値」というモノです。ここで定義を今一度見ると、「過去の実績」というおじさんが縋りそうなものはこの算出方法では「価値」の要素として組み込まれていないのですね。そりゃデューデリジェンス(投資の際の会社の調査)の際に「むむむっ!この会社は訴訟だらけやん!」とか「将来この事業計画達成する為のコンピテンシー備わって無くね?」みたいなケチを付けられることは勿論あります。が、企業価値算定方法としては、「将来キャッシュフロー」がメインで、極論会社としてはある程度の体をなしてればよい、と。
企業価値算定の話をしましたが、翻って個人の話へ。「士族の商法」という「新たな時流の荒波にもまれる」ことを選んだ人、つまり将来キャッシュフロー作りに賭けた人がいる一方で、「過去の実績」に縋った人たちがいるのもまた事実です。廃刀令や秩禄処分を受け特権階級を奪われたことによる「士族の反乱」が1870年代に多発します。この二者を分けたものは「自責」か「他責」か、換言すると「慣れない商売でも新たなものに飛び込み、何かを生み出す覚悟と意欲があった人たち」か「与えられていたものが無くなって、不満を溜めこみ『過去と同様』のものが与えられることを求める人たち」であったか、です。困窮を極めていたことは情状酌量の余地ありですが、あくまで「私欲」です。西郷隆盛の様な士族側のリーダーに立った人も「与える側」の日本政府を動かして、士族の不満を払しょくするという「集団的私欲」を大義のもとに戦っていました。と言いますか、士族はもともと特権階級であったわけで、「既得権益」を失った不満への反乱と言えます。
「変革期」で「自責型」=「既得権益に縋らない人」はどうするか、というと「自らにフォーカスし、成長しようと」します。「自分が生きていくため、会社なり、社会なりにより大きな貢献をするためにどういう能力を鍛えなければいけないか?」ということを考える訳ですね。企業経営的な言い方をすると「将来キャッシュフローを生み出すためにコンピテンシーを作り上げる」ということです。こういう人だから「価値がある」、一方で「過去に縋る」他責型の方には「価値がない」と言えます(少なくとも企業価値算定的には)。
「将来の貢献キャッシュフロー」を作り上げようと試みている人は、既に「既得権益」を持っていたとしても、それを超越する貢献を試みようとしているわけでそういう方は「既得権益おじさん」にはならない事でしょう。
日本的な「偉さ」の功罪(てか「罪」)の話
私も小さな頃は「年上を敬え」と教えて育てられた世代です。日本語は「目上」「目下」で区別される尊敬語、謙譲語がある言語ですし、言語という文化的背景が既にヒエラルキー型の構造になっているのかもしれません。しかし、年齢、出自、性別、性的嗜好(LGBTQ)、宗教、年収、職業、働いている企業の大小、家の広さ、学歴のどれをとっても「偉さ」を規定しない筈なんです。だから例えば「社長だから偉い」「テレビにいっぱい出てて偉い」「東大卒は高卒より偉い」というのはないはずなのですよ。
ぶっちゃけ日本人は肩書が好きな肩書至上主義なので大企業に長年勤めている「おじさん」には既得権益が集中しやすいし、「自分は偉い」という変な勘違いを起こしやすいのですよね。「大企業に勤めている人」が凄いのではなく、「より良きビジネスマンとして成長したい」という意識を持っていて実践するひとが凄いんです(というかそれすら「偉く」はないですが)。
「士族の商法」と「自責」の話に戻りますが、成功する人は「まだ道半ばなので、自分は慢心をしてはいけない」と、常に自分をアップデートし続ける人です。「社長」の肩書を得て、ある程度事業も成功して「自分は素晴らしい成功者だ」と勘違い=「偉い」と勘違いしてしまう方っていらっしゃいますよね。社長でなくても、「大企業の既得権益おじさん」はこういう思考法になります。こういう人たちは基本(すごろく的な表現で)「上がっている」状態、つまりもうやり切った、成し遂げた=これからは成長しない状態です。大企業勤めで「すでに上がった」人に対しては貢献の対価としての退職金は良いかと思いますが、その後は「Up or Out」ならぬ、「自分の貢献によって対価を得る仕組み、赤字なら厳しいよ!=個人事業主化」みたいなシステムが宜しいのかもしれません。
そういえば「45歳定年制」を唱えた方っていましたよね
サントリーホールディングスの新浪社長が「45歳定年制」を2021年秋に提唱し話題になったことを覚えている方もいらっしゃるかと思います(本件に関する朝日新聞記事はこちら)。このご提案内容、悪魔こと私がすべて理解しているとは思いませんが、「既得権益おじさん」を防ぐには素晴らしいアイデアで、少なくともホワイトカラーに関しては「45歳定年、その後は個人事業主化(とはいっても最初の何年かは同じ企業で働く権利有り)」みたいな感じで導入してもいいと思います。典型的日本の大企業の例として私の愛すべき商社、平均年収1,500万円レベルと言われますが、ぶっちゃけいうと「外に出たらただの人」です。ざっくりとした感覚ですが転職市場では市場価値(年収レベル)が300~500万円下がる感じがします(個人の肌感覚なので2ch創設者の西村ひろゆきさんに「個人の感想ですよね」と突っ込まれても仕方ないレベルですが)。ぶっちゃけ、商社の人はまだいい方で、メーカーご出身の方あたりだと一部は目も・・・(以下、自主規制(笑))
こうした中で45歳定年制+その後個人事業主という制度は「市場価値を向上させたり、自社でExecutiveレベルに上るに至るまでの貢献が出来るようにスキル構築を定年の45歳までに行わなければ!」と危機意識をもたらし社会人になってからも学び続ける理由を作るので貢献し続けるためのアップデートを図れる。また、45歳過ぎたら尚更自分の貢献度が対価となり、ダメなら契約切られる個人事業主なので、常にアップデートし続ける。「既得権益おじさん」の発生を防ぐことになるんではないかと。まあ、制度として定着するかと質問されると大企業が採用してはくれないと思うので微妙ですが、私はこの制度一理ありそうな気がします。もしやるとしたらベーシックインカム制や新たな雇用保険給付の形とセットですかね?
エリート層が「既得権益おじさん」化して長期化した「失われた30年」
養老孟司先生は「働かないけどポストにしがみつく」人に対して、組織に余裕があれば別のポスト(先生が言っていたのは研究室の空き部屋)を用意して、これまでの研究室は他の人に明け渡せばいい、つまり非常にざっくりいうと「余裕があれば対処できる」と仰っています(こちら)。
「失われた30年」の始まりのバブル崩壊直後、1990年代は今振り返ってみると「余裕」は絶対的数字としてはあった筈です。ただ、バブルという未曽有の好景気の後なので、相対的に(かつ急激に)景気が悪化したのは事実で、それが故に相対的に「余裕」を感じられなくなってしまった。当時既に戦後40年程度経過し、官僚化してしまった政官財エリート層は「何とかシステムを維持して、残されたパイを守って、自分の取り分も維持して、何とか10年くらいシステム維持できれば自分の立場は安泰でしょう」とか「自分たちはこれで成果を出してきた、これまでと同様で問題ないはず!」という風にこだわり、完全なる「既得権益おじさん」化してしまったことが「失われた~~年」が言われ始めて久しく、非常に長引いている理由の一つかと思います。
前々章で個人レベルとしては「将来キャッシュフローの話をしよう」と申し上げましたが、国家や自治体レベルでも同様で、含まれる事象が多いのでより抽象的な表現になりますが「将来に予見できる時流に対して対応できる措置を取り、波を乗り越えられる力を構築しましょう」ということになります。例えば、「少子・高齢化」という事象への対策は「第二次ベビーブーム」と言われる1970年代前半生まれ、2022年現在で大体50歳前後の方々が(生物学的に)出産の適齢期であった2000年代前半を中心とした前後10年程度の時期に出生数の「山」(前の時期に比しての上昇)が出来るか否かがカギだということは1980年代後半からでも予見できました。
少子化対策は対策・政策・インフラ整備と5~10年スパンの準備が必要で、その後仮に出生数・率の改善が見られたとしてもその生まれたBabyが労働力として経済的活動をしGDP貢献等をし始めるのがまた20数年、と長期スパンで考える必要があるし、政策がハマらない可能性もあるので個人の保身に走るおじさん(政策を作る年齢層の人)には「ハイリスク、現世のうちはほぼノーリターン」の「コスパの悪い」政策課題でしょう。仮に起きていたら「第三次ベビーブーム」だった世代、2000年代前半生まれの人たちも成人になる年齢に差し掛かっていますね・・・(遠い目)。
少子高齢化対策という政府マターに限らず、民間に目を移してもインフレ・物価上昇と賃金上昇の両輪がうまく機能しなかった理由も、「良いものを安く!」という甘い言葉のもと、長期的な「価値」ではなく短期的「価格」に擦り寄りながらビジネスを展開してきた企業の責任もあります。が、単純な話、「価格安→粗利低→給与に回せる額低」となるわけで、企業は苦しくなるわけです。縮小均衡スパイラルを作ってしまうわけですね。大局を見ながら、他者と別の行動を起こすには勇気がいりますが、「既得権益おじさん」化しない為には勇気、というかアドレナリンジャンキー化する必要があるのかもしれませんね。
まとめ
ここまで読んでいただきまして有難う御座います。「既得権益おじさん」化をクリティカルに語ってきましたが、「おじさん年齢」に差し掛かっているわが身としても、他人事では御座いません。慢心を避け、モブキャラ人生を慎ましやかに歩み、マネジメントの悪魔力の向上に精進してまいります。