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経営・マネジメント

LeadershipとManagementの絶妙な関係

良く世の中ではLeadership vs Managementなんていう二項の対立軸に置かれ、多くの場合においてLeadership礼賛みたいな結論で終わる議論を見ます。

悪魔はこの議論「まだ皆さんその程度の事議論しているのか・・・・」と思いながら遠い目をしてしまう訳ですが、悪魔的な結論は「LeadershipもManagementも弁えながら」です。何じゃらほい???と思うでしょう。現段階ではそれで結構です。今回の投稿ではLeadershipとManagementについてみながら、悪魔的な結論の意味を紐解いていきましょう。

LeadershipとManagementとはそれぞれ何なのか?

この章ではLeadershipとManagementについて見ていきましょう。
実は、この章が今回の投稿で最も苦労した部分です。あんまりいい定義って世の中に出回ってないデス。GoogleさんのSEOに訴えかけたいと思うのですが、「リーダーシップ」「マネジメント」とググってみて上位表示される内容のマズさよ・・・。というわけで悪魔の脳みその中を棚卸しながら書きます。世の中の誰かで既に同じことを語った人はいる筈でしょうが(そういうものです)、一応オリジナル定義です。

Leadershipとは何ぞや?

Leadershipは日本語では「統率」などと訳されますが、これは「統=まとめる事」、「率=導くこと」です。英語的な要素分解をするとLeadership=「Leader」に「求められること、あるべき姿」です。Sportsmanshipとかと同様の~shipですね。で、「Leader」とは「Lead」する人のこと、シンプルです。Leadとは「リードする=導くこと」つまり「率」です。ここに「統率」の「統」の部分の意味は純粋な意味においては不在です。まあ、あればあることに越したことはないですし、日本語は専門用語系の名詞を漢字2字で構成することが多いのでその「座り」を良くするためにいつの間にかついちゃった付帯的なものの様な気がします。

さて、「リードする」為に必要なものは「目標」「人をその目標に対して動いていくための(初動の)動機付けを与える」です。これがLeadershipを構成するマストの2要素だと言えます。企業・組織であれば企業全体の目標設定であるので、「共通目標」はありますが、「動機」は非常にパーソナルなものなので、その企業の構成メンバーそれぞれ一人一人がいかなる形であっても、違う形であっても「目標に対して動機付け」されていればいいっちゃいいものです。組織ですので「纏まり」が出来ることならあればいいけどね、という感じでやっぱり「統」の部分は付帯的な要素です。
結論、Leadershipは「目標設定」と「動機付け」です

Managementとは何ぞや?

一方、Managementを見ていきましょう。日本語の「経営」という言葉はこのManagementの対訳としてどうもしっくりきません。日本語の「経営」は少なくとも企業・組織に特化した用語です。英語でのManagementは「Relationship Management=(個人の)人間関係のマネジメント」「Time Management=時間のマネジメント」「Weight Management=体重のマネジメント」と企業・組織以外の広範な文脈においても使えます。この文脈での「Management」についてもっとも当てはまりそうな日本語は「管理」です。しかし、「管理」というとControl、押さえつけるという印象が強くなります。これは「管」においてはそうなのですが、「理」の意味付けがあまり重要視されていないが故というのがあると思います。「理る(ことわる)」=「物事の道筋をはっきりさせる、是非を判断する」(こちらより)と共に、古典などででてくる読み方「理(ことわり)」は筋道、必然、ロジック、システムを意味します。つまり、「管理」の真の意味としては「把握し、その把握した内容をシステムの上に乗っけて動かしていく、機能させていく」ということになり、この意味ではManagementと近似値になるかと思います。が、しかし「管理」の現代語的なニュアンスは上記の通りなので、悪魔が考える「Management」の日本語の最適訳は「うまくやりくりすること」だと思っています(笑)これが「Management」という言葉の要素を最適にきちんと表現できている日本語かと思われます。てか、何で日本語にはこの言葉のいい対訳が無いのでしょうかね?
因みに英語のControlにも「押さえつける」だけでなく「うまく動かす」という意味要素もあります。

さて、次の章ではなんでLeadershipとManagementが対立軸に置かれるの?という議論に入りましょう。

LeadershipとManagementが対立軸に置かれるわけ?

LeadershipとManagementは良く対立軸に置かれ、その際多くの場合においてLeadership礼賛、Management排除という構図で構成されます。これはなぜでしょうか?私が導き出した結論は「これが情報弱者を引っ掛け易いから」です。畢竟、トンデモ理論でしかありませんし、企業経営のGoing Concern(継続前提)に対して有効な理論では全くないです。

情報弱者を引っ掛け易い理由としては、我々は日本で言ったら「戦隊モノ」や「水戸黄門」など、世界的に見ても「Marvel Superheroes」などで「勧善懲悪」のカルチャーを子供の頃から繰り返しでいつの間にか身に付いています。それはあたかも日本語を話す親のもとで育てられた子が自然と日本語を身に着けていくかのように自然な形で身に付いていて、自然に身に付くその文化観の是非について疑いません。これは「正義」と「悪」の二軸です。ある一時を紋切で見たら「Leadership=ウキウキさせてくれるいい奴」=「正義」に見えるでしょう。一方「Management=Managementされる側を『型にはめる』奴」=「悪」に見えるでしょう。我々が染まった文化観においては、人はウキウキが好きだし、正義が好きです。だから礼賛します。Managementが悪だとは必ずしも言えませんが、Managementが「型にはめる」行為であるのは事実です。なぜなら型にはめないと継続的に目指す成果を出し続けるのは出来ないからです。それを悪に見做すとあら不思議、人間のアニマル脳にすんなりとはいってくる気持ちの良い二項対立が生まれる訳です。

ManagementなきLeadershipの行きつく先

ManagementなきLeadershipというのはあたかも

マネジメント悪魔
俺、6か月前に髪を切りに行って、その時はヘアスタイルがいい感じだったんだけど、最近髪が伸びてきてヘアスタイル決まんなくなっちゃって。6か月前に髪切った美容師にクレーム入れないとだめかなぁ

と言っている様なものです。質の悪いジョークにしか聞こえません。
ここでは「髪を切る」ということをLeadershipに例えましょう。それは髪を切ると変化が目に見えてウキウキするという点においてもLeadershipに似ています。この作業で「長い髪を短くする」ということはできます。一過性の行為です、この「一過性」という点もLeadershipに似ています。しかし、それ自体では「ヘアスタイルの維持」という臨むべき継続的な状態=成果は出ません。「定期的にだったり髪が伸びたなと思ったタイミングでヘアサロンに行く日を決め、予約をし、出向きお金を払う」という「ヘアサロンの空き予約のスロットで訪問できる様に調整するTime Management」「ヘアカット代捻出の為のMoney Management」「ヘアサロンに行ける様に体調を整えるHealth Management」という各種Managementを定期的に、継続的に行い一過性の行為をある一定の期間で定期的に行うことでしか「ヘアスタイルの維持」はできないのです。なので、求める成果を継続的に出し続けるにはある程度「型にはまり」ながらでもManagementの下での行動をしていくしかないのです。
そんな当たり前の事なのに、Leadership礼賛型の言説はManagementの効用を説いていません。Leadershipのウキウキに共感するアニマル脳に訴えかけます。そしてManagementを否定します。ゼロサムでLeadershipを礼賛する言説はもはや「経営の敵」と言ってもいいかもしれません。

あなたはManagement無くして目標を達成したことがあるか?

同じような事例の繰り返しになりますが、要素分解の為に他の例も出しながらあらためて説明します。
あなたは、進学/受験、就職活動、資格試験、ダイエットなどの、何らかの「目標を達成したい」と思ったことがあるでしょう。自分の目標を設定したり、その理由付けをしたり、実際そうである姿を想像したりして自分の気持ちのライブ感を高めたり、そうした行為は非常に重要です。例えば「自分は東大に行ってモテモテになりたいんだ!」と思い、そのモテモテになった姿を想像すること、それは換言すると自分の目標を定め、そこに導いていくという意でLeadershipです。これ自体に時間はかかりません。因みに、本当にモテたいがために東大を目指し、そして入学した人間を私は知っています(笑)。
しかし、目標を定めて、それを念じ続けていれば目標を達成するか、というと絶対にNoです。もし目標を定めただけで達成までも出来る人であれば、う~ん、もはや現世は必要ないのではないかと(笑)

目標達成の為には、目標に繋がる行為を日々実践していくことが求められ、その実践をオーガナイズされた形で行う為にはManagementが必要となります。「東大に入る」ということが目標であれば、一般入試では「大学入学共通テスト(かつてのセンター試験)」と「二次試験」の各科目で合格に資する点数を取ることが求められます。
その中には以下のManagementが含まれることでしょう。

1. 自分の弱点と得意科目は何かを見極め(SWOT)
2. 限られた時間を把握し、その中で目標点を取る得点戦略を考えるー弱点克服か得意伸長かハイブリッドか方向性を定め、それぞれの科目の勉強時間とタスクの配分をし(戦略策定)
3. 自分の勉強タスクを実行していくにあたり、必要な要素を最適化していき、計画通り実行していくこと。その為の要素として最適環境(図書館か自宅かなど)、最適勉強時間帯(朝型夜型)、疲れや飽きへの対処(ポモドーロテクニックなど)、不安への対処、最適ツール(ノート、ペン、問題集、参考書)、健康維持、本番の緊張対策などを整える事(戦略実行)

これらがステップとなります。これら1~3はいずれもManagementです。みなさん、ここまで来たら目標達成へのLeadershipとManagementのそれぞれの貢献度を考慮すると、Managementのそれがより大きいのが理解できると思います。Leadershipという目標設定で挫ける人はいません(変な目標設定をする方はいますが)、人はManagement、特にその過程におけるアクション(戦略実行)で挫けるのです。

これは「個人の目標達成」の場合を述べましたが、「組織の目標達成」の場合もそうです。良きLeaderがいても悪きManagementで頓挫した物事の事例は事欠きません。”悪き”Leaderの下の良きManagementというのはあまり見ませんが、「弱い」Leadershipの下でも「良きManagement」であれば何事かを達成できます。先程出した受験の例で行くと、私の高校時代の同級生の中にも「そんなに大した目標は持たなかったけど、きちんと毎日コツコツと勉強することが出来た人間」はある程度の大学には行っていました。組織でも同様です。次の章では「組織におけるLeadershipとManagementの最適解」について話します。

LedershipとManagementの位置関係の最適解

本章では企業・組織におけるLeadershipとManagementの位置関係の最適解について述べます。
章の「のっけ」から答えを言ってしまいましょう。

Ls > Ms > Lt > Mt >  A

です。L=Leadership, M=Management, A=Actionの略です。小文字の「s」や「t」が何を指すかと言われると、それぞれ「s=Strategic、戦略的な(より大局的な)」, 「t=Tactical, 戦術的な」ものとなります。このStrategicとTacticalの違いはスケール感や頻度によって異なります。ものすごくざっくりまとめると以下の表のような感じです。

Leadership&Management

ここで意識して欲しいのは、それぞれの階層でそれぞれのLeadershipとManagementがあり、また一つの人格の中にもLeadership的なタスクとManagement的なタスクの両方をこなす場合が殆どです。組織に所属する人は「自分は今どこの階層のどのタスクをこなそうとしているのか」を意識しながらこなすべきであることです。中小企業の例だと、「社長」がLs=全社的Leadership(例:会社のビジョン策定), Ms=全社的Management(例:組織編成)及びLt=戦術的Leadership(例:役員や部長クラスの働く意義づけ)の3役を一つの人格でこなす場合もあります。そんな場合でも「今この局面で自分が行っているタスクはLtだな」といった風にバーズアイで各局面で自分がこなしている役割を認識するのがあるべき姿です。これが経営者は出来ないことが多いのですが、その理由の片りんだけは次の章にて触れます。
例えば経営に関する名著の一つであると言われる「ビジョナリーカンパニー」(ジム・コリンズ著)は主に「Strategic Leadership」について述べた本です。著書の後半の一部で「Strategic Management」や「Tactical Leadership」の部分もありますが、それらについて割かれた章は非常に凡庸な一般論的な内容で悪魔は「この章とこの章は無い方がよかったよね」などと思っています。話がそれましたが、「自分がどの階層の何のタスクをやっているか」に対する意識が重要であると捉えてください。

LeadershipもManagementも「弁える」べきもの

前章で、「LeadershipとManagementには階層があり、自分が今どこの階層の何をやっているか意識しましょう」と述べました。「意識して・弁える」というのがLeadershipもManagementも大事になります。「弁えないManagement」となると「Micro-Management(過剰なマネジメント)」といって忌み嫌われますが、同様に、というかManagement以上にLeadershipも「弁えないと組織を壊す」と言えます。

Leadership論の大家にWarren Bennisという人がいます。この人が書いたLeadershipのClassicsで「On Becoming A Leader(邦題は「リーダーになる」というタイトルの様です)」という本があるのですが、この著書の規定するLeaderの要素は以下の6つです(参考)。

1. Vision ビジョン
2. Passion 情熱
3. Integrity 高潔性
4. Trust 信頼を置く
5. Curiosity 好奇心
Daring 大胆さ

はっきり言いましょう。悪魔はこの要素のリストに全く満足しておりません。必要な要素の大多数はカバーしていると思いますが、何となく「『アニメの主人公キャラ』になれ‼」、という「Nature vs Nurture 」=「遺伝・先天vs環境・後天」の中で「Nature」が優先されている元も子もない議論である気がしてなりません。何より、「弁え」というLeadershipを機能させる必要不可欠の要素が欠けているからです。
Leadershipの「弁え」として以下を意識しないと機能しません。
1.全社のビジョンや目標は頻繁に変えてはいけない
2.現状・リソース把握を把握した上でLeadershipを発揮しないと機能しない
3.上の階層のFrameworkをこえない
というのが必要となります。

1つ目、2つ目の点に関して、ある会社の経営者の事を思い出します。その方はオーラ、頭の回転、説明の上手さ、など一般的に「凄い経営者」だと思われる要素を多分に備えている方でした。ただ、以前この記事でも書きましたが「気が多いアイデアマン」であったゆえ、現状・リソース把握もせず、色々新たなビジョンを考え組織目標の設定・変更を頻繁にし、部下に目標に即したタスクをアサインをしていき、アサインしては放置見たなことを繰り返しておりました。非常にVisionaryなLeaderであったと思いますし、Warren Bennis氏のLeaderの要素の一つもかけていません。ただ、「弁える」という要素が欠けていた為にその企業は機能不全に陥り、また前述の通りリソース把握をしないものですからその社長自らがその機能不全に気が付くのが遅れる、という事態に陥っておりました。Leadershipは「強すぎる」とうまく行かないのです。Leadershipは「Managementがうまく機能する様に『弁えて』使う」べきです。実際の所、上の章で受験の例でも話しましたがManagementが何とかなっていればLeadershipは不在か「薄茶」くらいのあっさりさでもうまく行きます。「世の中に新たな価値観を創出する!」というVisionaryなビジネスモデルでも超絶失敗しますし、「ただただ集客・施術・Retention(囲い込み)に専心・集中する整体サロン」みたいなあっさりVisionaryだけどManagementとアクションはちゃんとしているビジネスの方が従業員・顧客・世の中に対する貢献度は高い筈です。

会社の例のみではありません。個人の目標設定でも一度に「あれもこれも」と初めてみては結局「二兎を追う者は一兎をも得ず」になったことはありませんでしょうか?私も「気が多い」タイプですのでこれまで特にスキル習得・学習でそうした挫折を何度も経験しました。挫折要因として、「アクションをきちんと習慣化するというManagementが上手くできなかった」という要因と共に、「目標を立て過ぎた」というのもあります。「これからのProfessionalにはこのスキルが必要だ!」という目標設定のLeadership自体は機能していましたが、それを自分のリソースを「弁える」ことなくポコポコと設定してしまい、「二兎を~」という結果になりました。Managementも完ぺきだったとは言えないのですが、Leadershipも「目標を数多く設定しすぎる」とうまく行かないという好例でした。「弁えない」と「達成」は無いのです。

「弁え」のもう一つの要素は3つ目「上の階層のFrameworkを超えない」ことです。たとえばStrategic Leadershipで規定された全社目標をStrategic Managementが補完する、つまりMsがLsをサポートする仕組みが無かったら、その会社は上手くいかない事でしょう。同様にLtがMsやLsのFrameworkを超えていたらそれは反逆分子です。エンタメの中のフィクションなので突っ込みどころはスルーすべきなのは重々承知なのですが、同じ銀行の中の人間に「倍返しだ!」だとか言っている半沢直樹はたとえ正しいことを行っているという意義はあり、それをLeadershipだと捉える事が出来る可能性があったとしても、実態は「私刑」でありもはや鬼畜の所業の域です。

LeadershipもManagementも「弁えながら・最小限で・システムがうまく機能する範囲の中で作用させる」というのが良いのです。特にLeadershipは前の方で話しましたが「良きManagementがあれば何とかなる」且つ「Leadershipを弁えずに行ってしまうと組織崩壊に至る」という要素を踏まえると「非常に薄くあっさりを善と」して機能していればよいのです。これが悪魔が「Leadership礼賛」にニヒリスティックな理由です。

まとめ

今回のLeadershipとManagementの投稿、いかがでしたでしょうか?「何事も弁えてあっさりを善とす」、悪魔の様に自分の心に刻み込まなければと自省も抱きつつ書きました。ではでは。

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